無料ブログはココログ
2014年12月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

2014年11月 6日 (木)

客車特急「はと」その4

Ymw00430

オシ17形は1956(昭和31)年より国鉄高砂・長野工場で改造された食堂車です。食堂車という特殊用途ゆえ、予備車も含めた4両のみの新製では価格も高く不経済なこともあって、連合軍によって接収・返還されたのち遊休車両となっていた1等展望車(マイテ47形、スイテ48形、スイテ38形)や1等寝台車(マイネロフ29形)、2等寝台車(マロネ29形)などの3軸ボギー優等車両の台枠を利用して、ナハ10形に準ずる軽量構造の車体を新製しました。
計画当初は東京〜博多間に新設される特急「あさかぜ」に充当する予定でしたが、軽量車体の採用で車体断面を拡大して定員増が可能となったことから、九州特急よりも収益が確実に見込める東海道本線の特急「つばめ」「はと」に連結されることになりました。
オシ17形は運転面でも営業施策面でも良好であったことから、老朽化している旧形の食堂車を置き換えるため1961(昭和36)年までの間に高砂・長野工場で30両製造されました。


Ymw00431

オシ17形は1955(昭和30)年に試作されたナハ10形を祖とする軽量構造の車体を採用し、車体断面はナハネ10形3等寝台車と同様の2950mmに拡大して車体裾部を絞る構造としました。ナハ10形と異なるのは台枠を種車である旧形車両のものから流用し、一部を改造して再利用していることです。
従来の食堂車では通路を挟んで片側に4人掛け、2人掛けテーブルを5列配置して定員30人とする構造でしたが、オシ17形では車体長を一般的な19500mm、車体幅を2950mmに拡大したことから、通路を挟んで両側に4人掛けテーブルを5列配置することが可能となり、定員は40人と大幅に増加しました。
車内構造は定員40人の食堂を挟んで前位から配電室、専務車掌室、手洗器、非常口、喫煙室、後位から物置、側廊下、料理室という構造となり、料理室と側廊下には食品の搬入に便利なように業務用開き戸を設けました。この構造が以降の近代的食堂車の基本形となりました。


Ymw00432

食堂の側窓は断熱性と防音性を考慮して2重窓としました。外窓は当時国産化されたばかりの熱線吸収ガラスをHゴムで車体外板と固定し、内側には磨きガラスのアルミサッシを使用して室内側に横開きとなるように取り付けられました。1200x900mmの大型窓を採用したことから車内は明るく見晴らしの良いものになりました。なお、1959(昭和34)年度製からは複層ガラス用いる方式に変更し、それに伴って側窓の寸法が1190mmに変更されました。
乗務員室や喫煙室、勘定台や料理室の側窓は710mm幅、側廊下の側窓は1080mm幅で、いずれもアルミ製の2段サッシとし、上段下降・下段固定式となっています。料理室には磨りガラスを採用しました。


Ymw00433

旧形車両からの流用となった床板はキーストンプレートを張ることができず、食堂と喫煙室については従来通り二重の木張りとなり、上面にはリノリウムを張りました。料理室は一重床で防水性を考慮してマグネシアセメントを塗り、その他の床は一重として上面にリノリウムを張りました。
室内は当初から蛍光灯を採用しています。
料理設備は本来であれば電化食堂車として完成させたかったところですが、先のカシ36形で苦い経験があったことから、本形式では石炭レンジと氷式冷蔵庫という従来の方式に戻ってしまいました。


Ymw00434

当時の慣例として1等車と食堂車については冷房装置が搭載されていたことから、本形式においても冷房車として落成しました。
冷房装置はCAE81形空気調和装置で、圧縮ユニットは3PK-9A形ディーゼルエンジン、DK形圧縮機、PAG2形交流発電機を一つの吊り枠にまとめて防振ゴムを介して床下に取り付けています。ディーゼルエンジンとベルトで直結された圧縮機で冷凍機を直接駆動し、発電機で冷房装置の電源を得る構造となっており、従来の発電装置(車軸と歯車を介する方式)と比較すると大幅に信頼性が向上しました。圧縮機で圧縮されたフレオンガスは床下に取り付けられた凝縮器で冷却されたのち、喫煙室の天井にある調和装置で冷風となり食堂室内の5つのアネモスタットから通風しました。
CAE81形空気調和装置はその後マシ35形の冷房装置更新の際にも採用されました。


Ymw00435

台車は設計当初は乗り心地の良い種車のTR73形3軸ボギーを利用してスシ58形とする予定でしたが、10系客車のTR50形2軸ボギー台車が想定以上に良好な成績を収めたため、重量客車向けにバネを固くしたTR52形を採用してオシ18形として計画しました。しかし、最終的には近畿車輛のKD11、KD11A形シュリーレン式2軸ボギー台車を改良したTR53形台車を採用し、オシ17形として落成したのです。従来の台車が軸箱守で車軸を支持しているのに対し、TR53形台車ではウィングバネの内部にオイルダンパを兼ねた軸箱案内装置で車軸を支持しているのが特徴です。


オシ17形は改造種車が多岐にわたることが特徴で、改造経緯も複雑になっています。

1次車とも言えるオシ17形1〜4は1956(昭和31)年に国鉄高砂工場で落成しました。オシ171はマイフ293(マイネロフ293←マイネロフ373)、オシ172はマイ981(マイテ47←スイテ37030←スイテ37002)、オシ173はスイテ482(スイテ37020)、オシ174はスイテ381(スイテ37000)からそれぞれ改造されました。種車の台枠はそれぞれUF45、UF47、UF47A、UF47でしたが、改造によってUF238、UF236、UF237、UF236となりました。
1・2は特急「つばめ」用として宮原客車区に、3・4は特急「はと」用に品川客車区に配置し、それぞれ淡緑色5号に塗装されて落成されました。落成時期が11月ということもあって空気調和装置の取り付けは配管やダクトのみの準備工事とし、翌年の夏期までに冷房装置を搭載することになりました。

1957(昭和32)年度製のオシ17形5〜9は1956年製の使用実績に基づいて細部の改良等を行い、ぶどう色に塗装されて品川客車区に配置されました。種車はスイテ481形やマハネ29形などの優等客車が選ばれ、高砂工場で改造が行われました。種車の台枠はUF47A、UF45、UF48となり、改造後はそれぞれUF237、UF238、UF238準用となりました。
資材搬入を行いやすくするため、調理室の業務用扉の幅を拡大し、下降式の窓を設置しました。それにあわせて扉内側に取り付けられていた折りたたみ式の椅子は廃止されました。またオシ177からは外妻の縦樋内側に取り付けられていた踏段手摺りを車体の角に移設しました。
1次車では準備工事で落成したCAE81形空気調和装置も、本製造予算車からは落成時から取り付けられての登場となりました。

1958(昭和33)年度製のオシ17形10〜13のうち、10はアジア鉄道首脳者懇談会の特別列車用としてマハネ2931から改造されました。台車はTR53形の枕バネを空気バネに変更したTR57形を履いているのが特徴で、国鉄がこの会議にかける意気込みを伺うことができます。このTR57形台車はオシ1710とマイフ971のみに採用された珍しい台車です。


Ymw00436

オシ17形11以降は一部の車体構造が変更されました。
食堂室の側窓が従来の二重窓から複層固定窓に変更となり、窓上の水切りを廃止したことで窓周りがすっきりとしました。また車端部の手洗い所と非常口を廃止して、向かい合わせの腰掛けをコの字型に配列して喫煙室を拡大したことから、車端部の窓配置が若干変わりました。
種車はマハネ29形(UF45)やスシ483(UF45A改)から改造され、台枠はそれぞれUF238、UF238準用となりました。台車はTR53形の揺枕吊装置を改良したTR53A形となり、以降の増備車についても採用されることになりました。
特急「はつかり」に使用するため、塗装は青15号の車体色にクリーム色1号の帯を2本入れた特急色として落成しました。いずれの車両も高砂工場で改造され、品川客車区に配置されました。


Ymw00437

1959(昭和34)年度製のオシ17形14・15、2051〜2055はマハ29形から改造されました。外観的な特徴は食堂部分の窓を複層ガラス窓に変更したことにより窓幅、高さが変更されたことに加え、従来車では空気調和装置の点検蓋がある1位側の妻板にあった昇降用手摺りが、本製造分からは料理室の煙突や通風器のある3位側に移動しました。
種車のマハ29形はいろいろな出自があることから、使用した台枠もUF48やUF51があって改造後はUF238準用となりました。

東北線用として落成した車両(2051〜2055)については、使用地域の気候等を考慮して従来の蒸気暖房に加えて電気暖房を搭載しました。列車の電気暖房については一時期東海道線で試験的に運用されましたが、本格的な運用は交流電化が進展してからとなりました。電気暖房は電化区間を走行する機関車から暖房用の電気を供給し、客車の床下に30KVAの変圧器と高圧ヒューズを取り付けて車内の暖房器を暖める方式で、落成当初は電気暖房付きの車両を現在のような原番号+2000という方法が確立されておらず50番台を付与して番台区分を行いました。
14・15は品川客車区に、2050番台は仙台客車区にそれぞれ配置されました。

最終増備となるオシ17形16〜25は1960(昭和35)年度に落成しました。種車はマロネ49形やマハ29形で長野工場、高砂工場で改造されました。

その後交流電化の延伸により2050番台以外の車両にも電気暖房を取り付けることとなり、1961(昭和36)年から1970(昭和45)年度にかけて電気暖房装置の取り付け工事を行いました。対象車両は2005、2006、2008、2016〜2022の10両となり、この工事によって2050番台との差違はなくなりました。

全国各地の長距離急行列車に連結されて隆盛を誇ったオシ17形食堂車でしたが、そのターニングポイントとなったのは1972(昭和47)年11月に起きた北陸トンネル列車火災事故でした。急行「きたぐに」で運用中であったオシ17形2018から出火し多数の死傷者を出してしまったのです。この事故により当該車両である2018も含めた全車が使用停止処置となり、1973(昭和48)年度末までには証拠物件以外の車両をのぞき廃車されました。これを契機に在来線の客車食堂車は廃止の方向へと舵が切られてしまったのです。
北陸トンネル事故によって余剰となったオシ17形のうち、2055と2052は交直流電気機関車の教習車としてオヤ17形1、2に改造されました。オヤ171形は1973(昭和48)年度に土崎工場で改造されて秋田客貨車区に、オヤ172形は1974(昭和49)年度に新津工場で改造されて新津客貨車区に配置されました。


こうして数奇な運命をたどったオシ17形食堂車ですが、その功績は車体断面の拡大による定員増と列車食堂の近代化に貢献したことでした。その精神は夜行列車のサロンカーと言われたオシ16形に受け継がれ、ビュフェという簡易的なものではありますが調理機器を完全に電化し、やがて本格的な電化食堂車ナシ20形へと続いていったのです。
しかし、この事故を契機に在来線の食堂車は衰退の一途をたどっていったのも事実で、急行列車における食堂車の廃止以降は新幹線と一部の昼行特急列車と寝台特急列車のみの営業となり、それもいつしか全廃となってしまいました。車窓の風景を楽しみながら温かな食事をとる機会は残念ながらなくなってしまったのです。
現在は本州と北海道を結ぶ一部の特急列車(北斗星、トワイライト・エクスプレス、カシオペア)しか食堂車は連結されておらず、従来のように気軽に利用できる存在ではありません。しかも近々に控えた北海道新幹線の開業により、それらの列車は廃止が打ち出され「シ」という車両はまさに風前の灯火とも言えましょう。


このブログの原稿を書き始めたときにトミックスからオシ17形の製品化が予告され、奇しくも天賞堂とトミックス両社の競作となりました。
天賞堂のオシ17形は実物が淡緑色5号で塗装された1次車(1~4)のなかでも車番を印刷済みとした2を、トミックスは食堂室の窓が複層固定式ガラスとなり窓上部の水切りが廃止された3次車(11以降)の車両のなかでも、発電機関を更新した晩年の姿で製品化しています。そこで本ブログでは天賞堂のオシ17形を基本としながら、トミックス製品も含めて紹介していきたいと思います。


Ymw00438

31年度製(1~4)と33年度製(11~)との相違点はいくつかありますが、大きな変更点は食堂室の窓構造が変更されたことです。31年度製造車は2重窓で窓上部に水切りが取り付けられていたのに対し、増備車は複層固定式ガラスを採用したことで窓寸法が変わり、窓上部の水切りも廃止されました。
33年度製造車では前年度の部分的な改良(業務用扉の拡大と窓の設置)を経たのち、手洗い器と非常用扉を廃止して喫煙室を拡大し、それに伴って車端部の窓配置が変更されました。また従来は1位側にあった屋根昇降用の手摺と屋根の手摺位置が増備車では料理室の煙突がある3位側に変更されました。
シュリーレン式のTR53台車についても増備車からは枕バネ部分を変更したTR53Aとなりました。

以上のような相違点を踏まえつつ、それぞれのモデルを見ていくことにしましょう。
天賞堂もトミックスもそれぞれのプロトタイプを忠実に再現しているように思います。車体全体の構造やディテールについては前回のナロ10形で記したとおり、ほぼ満足のいく仕上がりとなっています。
全体的には天賞堂製はディテールなどの線が濃くてしっかりとした印象を、トミックス製は線が細くて繊細な印象を受けます。


Ymw00439_2

大きな特徴となる食堂の固定窓についても表現方法が異なっており、天賞堂の製品ではHゴムも含めて窓全周を銀色に塗装して表現しているのに対し、トミックス製は複層固定窓のHゴムのみを表現しています。窓ガラスの平面性・透明性も良好で、すでに手慣れた感じを受けます。
専務車掌室や喫煙室、そして料理室や側廊下の2段窓は天賞堂の製品では窓周囲の枠も銀色で表現しているのに対し、トミックスの製品では縦桟を省略しています。ナロ10形の項でも述べたように窓枠全周を表現してしまうと、どうしてもうるさくなってしまうので、個人的にはトミックスの製品のほうがすっきりとしていて好感が持てます。
この大きな窓からは室内がよく見えるので、テーブルや椅子、そして床板を塗り分けた天賞堂の製品に軍配が上がります。人形を乗せてテーブルの上を小物で飾り立てればかなり見栄えがしそうです。食堂の窓上部にある水切りの有無は実物通りとなっていますが、その他の部分については天賞堂製は線が太く、トミックス製品ではやや細めに表現されています。
料理室の業務用扉についても増備車ではわずかに幅が拡がりました。これは模型的にも1mm程度の差でしかありませんがしっかりと再現されています。この扉には後の設計変更で2段式の窓が取り付けられています。


Ymw00440_2

妻板のディテールは前回のナロ10形での項と同じです。
10系客車は鋼板屋根なのでキャンバス押さえがありませんが、車体と屋根との接合部も隙間なく、このあたりの造作はほとんど問題がないでしょう。
車体側面の雨樋から妻板の縦樋を結ぶ漏斗もあっさりと表現されており、幌枠ステー、踏み台用の手摺り、検査票差し、銘板、尾灯掛けや踏み板なども妻板と一体のモールドで適度に表現されています。なによりも細かなレタリング類が施されているのがいいですね。ちなみにトミックス製品では幌枠ステーや踏み台用の手摺りについては別パーツで添付されており、ユーザーが自分で取り付けるようにして精密感を出しています。
屋根昇降用の手摺りは当初は空気調和器のある1位側にありましたが、14〜は煙突のある3位側に移設されました。天賞堂の製品がこの手摺りを省略しているのは、新製時にはなかったからなのかもしれません。それに対してトミックスの製品では3位側に移設された姿を再現していますが、ご丁寧にも1位側の手摺りが表現されているのは愛嬌でしょうか。


Ymw00441_2

屋根上には1位側に空気調和装置の蓋、3位側には料理室の煙突や通風器があるのみで比較的あっさりとしています。特にベンチレーターについては両社に細かな差異があって、それぞれの表現に特徴があって面白いところです。どちらもベースに本体を被せる構造の2ピースになっていて、天賞堂は組み立て済み、トミックス製はユーザーがランナーから切り離して組み立てる方式を採用しています。


Ymw00442_2

TR53台車はシュリーレン式の台車として近畿車輛のKD11形を国鉄向けに設計したもので、オシ171~9に使用されました。その後アジア鉄道首脳懇談大会の特別列車用に製造されたオシ1710のみTR53の枕バネを空気バネに変更したTR57を履いていましたが、オシ1711以降の車両についてはその空気バネをコイルバネに変更したTR53Aを使用することになりました。
写真上段は天賞堂製のTR53、写真下段はトミックスのTR53Aですが、揺れ枕装置を中心に両者の差異を模型でも再現しているのには驚きです。ちなみに天賞堂では第3弾となる「はつかり」で3次車を製品化しましたが、こちらもしっかりとTR53Aを再現しています。
台車枠のディテールは両社とも味わいが異なります。軸受けを兼ねた集電板の立ち上がりが天賞堂では奥まって目立たないのに対し、トミックスのそれは表面に近いのでやや目立ってしまうことでしょうか。天賞堂製はスポーク車輪を、トミックス製品ではプレート車輪を採用しています。両社とも車輪の転がりは良好です。


Ymw00443

床下機器は種車が多岐にわたる旧形客車の台枠を使用していることや、食堂車という特殊用途もあって賑やかに並んでいます。これがもし当初の計画通りにオシ58形として3軸ボギー台車を使用していたならいったいどうなっていたのか、ちょっと興味深く思います。
台枠は中梁、側梁、横梁、枕梁といった旧形車独特の構造に、天賞堂お得意の縦に張った床板を表現しています。ここにブレーキ主管やテコと引き棒、そして暖房トラップなどを一体でモールドし、別成型の床下器具を取り付けているのです。実物ではブレーキシリンダー、エアータンク、蓄電池箱、附属品箱などは種車のものを流用し、凝縮装置、圧縮機装置、燃料タンクといった冷房関連機器や水タンクなどは新製しているので、新旧の対比がおもしろくまさに混沌(カオス)ワールドになっています。


Ymw00444

それぞれの床下器具は細かなディテールが施されており、なかでも圧縮機装置は後年になって補強の対象となってしまった吊り枠がしっかりと再現されていますし、ユニット背面のディーゼル機関から発電機と凝縮器を結ぶベルトやプーリーが細かく表現されているのは驚きです。
このCAE81形冷房装置(空気調和装置)はディーゼル機関と直結した凝縮器と発電機を凝縮ユニットとして一つの吊り台に収めたのが特徴ですが、実車ではこの吊り台の強度が不足していたのか運転中の異常振動を生じたことから、後年になって吊り台を補強しています。
天賞堂製はこの吊り台が補強される前のオリジナルの姿を、トミックス製品はこの吊り枠を強固なものに載せ替えた晩年の姿を再現しています。なお、凝縮器についてはそれぞれで若干寸法の差があるようです。

天賞堂のオシ17形は特急「はつかり」を製品化するにあたり、トミックスと同様の3次車以降をプロトタイプとして製品化しました。これで1〜4(淡緑色5号)、11〜13の特急色、そして11以降の一般色(晩年)の3種類が製品化されたことになりました。両社ともすでに手慣れた製品となっており、その点では手に取ることに不安はありません。
数年前まではこんな展開になるなんて誰が予想していたでしょうか。まさにうれしい悲鳴であるとともに、熟成中となっているフェニックスの真鍮製キットの去就についても考えなければいけません。プラ製品の台頭はこんなところにも一石を投じてしまうのです。

今回のブログは車種として消滅する運命にある食堂車に敬意を表して、多少長くなってしまいました。まだまだ書き足りないこともあるのですが、それもこれも私自身が食堂車というものに思い入れがあったからなのです。
来年の春以降、在来線を走行する食堂車には大きな変革が訪れるものと思われますが、新たなコンセプトによるレストラン列車が各地に出現したことは、食堂車愛好家としてとても好ましく思っています。
やはり、車窓を楽しみながら温かな食事をすることが、旅人にとってなによりも御馳走だということを、そして旅の思い出に繋がるということを記して、筆を置きたいと思います。

2014年8月31日 (日)

客車特急「はと」その3

Ymw00418

ナロ10形は1957(昭和32)年から日立製作所で33両が製造された特別2等車(のちのグリーン車)です。当時の国鉄は2等車の質的向上を計るために、リクライニングシート付きの2等車(特ロ)の増備に力を入れていました。しかし、急行列車の増発により特ロが不足してしまうことから、まずは特急列車用に新しい車両——すなわち軽量構造の特別2等車——を導入したのち、余剰となったスロ54形などを急行列車に転用する方法で2等車全体の質的向上を図ったのです。
「特ロ」と呼ばれる特別2等車はCTS(Civil Transportation Section;民間運輸局)との確執によって誕生したスロ60形を起源としています。それまでの固定座席が主体であった並ロから格段に向上した客室設備と据え置かれた料金設定により、登場と同時に利用客から大好評となり、その後もスロ50・スロ61形、オロ61形、スロ51・52形、スロ53・54形と続けて増備されました。


Ymw00419

従来車両との決定的な違いは車体構造がナハ10形を祖とする軽量構造となったことです。車体長は一般的な19500mmとしながらも、車体幅はナハネ10形3等寝台車と同じように2950mmに拡大したことから、車両限界内に収まるよう車体裾部を絞っているのが特徴です。車体断面が拡大したにもかかわらず重量は約20〜30%程度少なくなり、外観も張殻構造となったことからシル・ヘッダーが不要となり軽快で明るい車両となりました。
車体側面には客席毎に930mm幅の一段上昇式アルミサッシを配し、車体の応力を逃すために開口部の四隅にはR80mmの丸みが付けられています。窓上部には水切りを取り付けたことから、ヨーロピアンスタイルの軽快でスマートな外観となりました。


Ymw00420

デッキドアはナハ10形試作車では折り戸式でしたが、ナロ10形では通常の開き戸となり、風をデッキ内に取り入れる際にドアを開けなくて済むように窓は上段下降下段固定の二段式サッシとして開閉可能となりました。
室内については当時の特別2等車の標準であるスロ54形の構造を基本に、客室を挟んで前位には洋式便所と化粧室、後位には出入台、化粧室、和式便所、乗務員室、荷物保管室が設置されています。定員48人の2等客室には「特ロ」の特徴ともいえるR-15形自在腰掛け(2人掛けリクライニングシート)を1160mmの間隔で24脚並べました。客室内は当初から蛍光灯とし、調光可能なラピットスタート式を採用。夜間減光時には読書灯としてスポットライト(レンズ付き白熱灯)を荷物棚の下に設置して、各自が自由に使用できるようにしました。


Ymw00421

台枠はUF317を使用し、鋼板プレスを多用した溶接構造で、端梁、枕梁、側梁、横梁からなる台枠に、厚さ1.2mmの波形鋼板(キーストンプレート)を上面に溶接して台枠全体の強度を向上させました。UF317に関しては車体裾部が傾斜しているため、側枠の部分もこれに対応して部材が斜めになっているのが特徴です。台車は10系客車標準のTR50形2軸ボギーを基本として、バネを柔らかくして乗り心地を改善したTR50B形2軸ボギーを履いています。


Ymw00422

1957(昭和32)年度に特急用として製造された1次製造分(1〜28)は淡緑5号で落成し宮原客車区に配置されました。第2次製造分(29〜33)の5両は20系化される前の「あさかぜ」に使用するため一般色(ぶどう色1号と青帯にⅡの標記)で落成し、品川客車区に配置されました。その後「あさかぜ」が20系化されると、新設される東北特急「はつかり」に転用することとなり、車体色を青15号にクリーム色1号の帯2本を入れた特急色に変更して使用されました。この際、所用数の関係から宮原客車区のナロ1028のみ尾久客車区へ転属させたことから、同車は青大将色から特急色に変更された珍しい経歴を持つ車両となりました。
「つばめ」「はと」の電車化によって特急運用を解かれた1次車は鹿児島に配属され、本州〜九州間の急行列車に使用されることとなりました。

ところで当時は特別2等車といえども冷房化はされておらず、基本的には1等車と食堂車のみが冷房化されている時代でした。したがってナロ10形についても非冷房車として落成しましたが、のちに2等車も冷房化対象となったため1966(昭和41)年から冷房改造工事が行われました。
冷房改造は従来の屋根を取り去ったのち、新たに低屋根を作り上げるという大胆な手法を採用しました。これにより3865mmあった屋根高さを3621mmに抑え、屋根上にはAU13形冷房装置を5基搭載しました。床下は蓄電池箱を水タンクの脇に移設したうえで電源装置となる4PK-9Aディーゼル発電機や関連する器具を増設しました。これら一連の工事により車体重量が増加したため、ナロ10形はオロ11形に形式が変更されました。1968(昭和43)年のナロ1033の冷房改造をもってナロ10形はすべてオロ11形となり、ナロ10形は形式消滅となりました。
冷房化によって2等車のサービス向上に寄与した本形式ですが、冷房改造の際に鋼体の補強が不十分だったせいで晩年になると車体の歪みが目立ち始めたことや、電気暖房装置を搭載していないことから他の列車に転用もできず、昭和50年代には早々に廃車となってしまいました。
このような冷房改造工事はスロ54形、オロ61形(改造後はスロ62形に形式変更)についても行われましたが、皮肉なことにこれらスロ54形やスロ62形の方が晩年まで残っていました。


Ymw00423

YMWでは蒸気機関車が牽引する晩年の急行「日南」を再現するために、フジモデルのオロ11形グリーン車を2両保有しています。真鍮製キットなので例によって長期熟成中とはなっていますが、着工のゴー・サインが出ればいつでも着工できる体制となっています。したがってオリジナルとなるナロ10形については今回の「はと」が初めての配置となりました。

模型はこのナロ10形の形態を忠実に再現しており、車体各部の造作も手慣れているのは最近の新製品に共通しています。プラスティック製品の10系客車はトミックスから座席車や郵便車がすでに製品化されていますが、それらと比較しても形態的な破綻はないように思います。もっとも両者のディテール表現については細かい差異やニュアンスの違いもあるので、製品の良し悪しについてはあくまでも各自の好みとはなりますが、少なくてもYMWにとっては安心して手に取ることができる製品であったと言えます。


Ymw00424

10系客車の側面客室窓の四隅にはR80mmの丸みがあり、断面にはテーパーが付けられていますが、モデルもこのテーパーをしっかり再現しており、上辺の水切りとともに10系客車らしさが出ていてとても好感が持てる仕上がりとなっています。真鍮製キットの場合ではテーパーを付けたり、水切りを別貼りするなどしてこの部分を仕上げるのに意外と手間がかかるので(まあ、凝らなければいいのだろうけど)、こういった部分はプラスティック製品の良さを感じます。
窓ガラスも平面性、透明性ともに良好でもはやこの部分で心配する必要はなくなったと思われます。ただ窓枠のモールドが銀色の塗装とともに強調されすぎているようで、好みが分かれるところではありますが、個人的には下辺を除く3辺の線がもう少し細ければと思うのは私だけでしょうか。
行き先サボは本来であれば車体中央部の窓下と出入台横の上部に付くはずですが、製品では車体中央部のサボ受けのみモールドされていました。したがって「はと」として使用するには別売りの行き先シールを貼ることによって表現します。


Ymw00425

客車の要ともいえる妻板やデッキ部分についても破綻はないように仕上がっており、角パイプを使用した縦樋と上部の漏斗、各種検査票差しや尾灯掛け、配電盤カバーや幌枠ステーなどが一体で成型されており、このあたりはもはや成熟した感があります。
デッキドアの窓は上段下降・下段固定の2段サッシとなっていますが、このあたりもしっかりと段差が表現されているのには驚きました。出入台脇の手すりも金属線を使用しており、プラ独特のフニャフニャ感はありません。印刷済みの特急表示や特別2等と書かれた等級表示も泣かせます。


Ymw00426

床下は非冷房車ということもあって比較的あっさりしています。10系客車は従来の旧形客車と異なって主台枠がないかわりに、キーストンプレートと呼ばれる波形鋼が貼られています。模型でもこの10系客車以降の特徴とも言えるキーストンプレートが緻密に表現されています。
このキーストンプレートを表現した床板には横梁、ブレーキ主管、ブレーキテコ、ブレーキ引き棒、蒸気トラップ、そして一部の床下器具が一体成型されており、大型の水タンク、ブレーキシリンダー、蓄電池箱、附属品箱などは別パーツの部品を接着しているので、金属製車両に負けないぐらいの精密感があります。個々の床下器具についても概ね良好であるように思います。


Ymw00427

Ymw00428

TR50形台車は今回の製品化で新たに作られたもので、細かい部分まで表現され立体感にあふれたものとなっています。特に本製品では枕バネやオイルダンパそして揺れマクラ装置を別パーツ化するとともに、孔の抜かれたブレーキバリや踏面にある制輪子などの表現が秀逸で、プレート車輪の輪芯にも小さな孔が開けられています。
台車枠がプラスティック製であることから、車輪からの集電を行うために軸受けを兼ねた集電板がセットされているのはプラ製品に共通する構造です。この部分が車輪の転がり性能や集電性能を左右するのですが、本製品では台車の転がりもよく、また室内灯のちらつきを抑えることができているように思います。集電板の床板への立ち上がりも各プラ製品メーカーによって処理の方法が異なりますが、本製品では台車内部に寄せてなるべく目立たないように処理されています。


Ymw00429

室内は従来の製品の構造をほぼ踏襲しており、全体が3ピースに分かれています。リクライニングシートが並んだ客室ユニットは赤色の成型材を使用し、背刷りのシートカバーを白色に、床面は灰色をそれぞれ塗り分けています。当時のシートカバーは背擦のすべてを覆っていましたが、製品でもきちんとそれが表現されています。
客室を挟んで前位には洋式便所と化粧室、後位には出入台の仕切りと和式便所、化粧室、乗務員室、荷物保管室の仕切りが表現されています。洋式便所と和式便所をしっかりと作り分けているのはさすが(?)です。いずれのユニットも数カ所のネジで床板本体にネジ止めされています。
わがYMWでは室内灯が標準装備なので別売りのLED室内灯ユニットB(蛍光色)を取り付けています。

これまでプラスティック製の10系客車はトミックスの独壇場でした。第1弾となるオハネ12形・オハネフ12形を筆頭に、オロネ10形、オロネフ10形、ナハネ10形、ナハネフ10形、オハネ17形、スハネ16形などの寝台車に加え、ナハ10・11形、ナハフ10・11形などの座席車そしてオユ10形郵便車(非冷房・冷房改造車)が製品化されてきました。
今回の「はと」でナロ10形とオシ17形が製品化されたことで、10系客車はますます充実した感があったのですが、驚くことにトミックスではオシ17形を製品化。そして天賞堂では来年以降にオユ12(スユ13)形、オロ11形を製品化することが決まったようで、こちらもとても楽しみしています。これで残すところはナロハネ10(オロハネ10)形、ナハネフ11(オハネフ13)形、オシ16形そしてカニ38形となりました。

次回はいよいよ最終章、オシ17形についてです。

2014年7月26日 (土)

客車特急「はと」その2

Ymw00405

天ぷら客車特急シリーズ第二弾となる「はと」は、第一弾の「つばめ」と同様に期待を裏切らない製品だと思います。ここではスハ44形3等車、スハニ35形3等荷物車については「つばめ」の項を参照していただくこととし、マイテ58形1等展望車、ナロ10形特別2等車、そしてオシ17形食堂車について記していきたいと思います。


■ マイテ58形1等展望車

Ymw00406

マイテ58形1等展望車は1939(昭和14)年に特急「鷗」用として、当時余剰となっていた木製のオイテ27000形1等展望車を大井工場において鋼製化改造して誕生した車両です。当初は展望車グループの最終番号であるスイテ37050形(37050・37051)として落成しました。
それまでダブルルーフ車が主体だった1等展望車(スイテ37000形、マイテ37010形、スイテ37020形、スイテ37030形)でしたが、1938(昭和13)年に特急「富士」を近代化するために新製したスイテ37040形(のちのスイテ49形)からは丸屋根構造を採用することとなり、それまで重厚感があった展望車も軽快でスマートな姿へと変貌を遂げることになったのです。
スイテ37040形の投入によって余剰となったスイテ37000形1等展望車は特急「富士」の運用を離れ、区間運用ながら木製展望車が連結されていた名門急行第7・8列車(東京-下関)のオイテ27000形と置き換える形で充当されることになりました。その結果、余剰となったオイテ27000形を大井工場に入場させて、新たに鋼製のスイテ37050形へと改造することになったのです。


Ymw00407

その内容はオイテ27000形の台枠と台車を利用して、車体を鋼体にて新製する鋼製化工事を行い、屋根についてはスイテ37040形と同様にシングルルーフとして落成しました。また溶接技術の進展でリベットがなくなった車体側面には1200mm幅と1000mm幅の広窓が並び、それまでの展望車とは異なって近代的で明るいスタイルとなりました。


Ymw00408

室内は前位側から一人掛けと二人掛けのソファーをゆったり配置した展望室、一人用椅子を左右に1列ずつ配置した1等開放室、そして三人用と六人用の1等区分室、後位側には給仕室、車掌室、化粧室、便所が配置されており、定員は展望室10名、1等室17名となりました。特急「鴎」は昼行列車なので1等寝台車を連結しないことから、貴賓や高級官吏の乗車に備えてこのような区分室の設備が必要とされたのです。室内装飾は洋式のモダンなものとなりました。

台枠は種車のUF51Aを利用しました。台車も種車のTR71形3軸ボギーを改造したTR76形3軸ボギー台車が使用されていましたが、乗り心地が悪いこともあって、のちの冷房改造時に鋼製車標準のTR73形3軸ボギー台車に交換されました。
1941(昭和16)年の車両称号規定の改正でスイテ37050形はスイテ37形(1・2)へと変更されました。より戦時色が濃くなった1943(昭和18)年には特急「鷗」は廃止。スイテ37形は休車扱いとなり、戦火を避けるために疎開させられました。

終戦後、連合国軍は日本各地へ進駐するにあたって効率的に鉄道を利用するため、第3鉄道輸送司令部を置くとともに、連合軍指定客車(特別軍用客車)として優等車を含めた相当数(約1000両)の各種車両を接収することになりました。なかでも1等展望車についてはスイテ37形(1・2)、スイテ38形(1)、スイテ48形(1・2)、スイテ49形(1・2)の7両を昭和20年11月までに指定し、接収後は直ちに工場にて整備・改造等を行って翌21年6月までには軍番号と軍名称が付けられました。


Ymw00409

スイテ371形は1945(昭和20)年11月に指定されると、展望車の分類として軍番号2104(軍名称STERNBERG)が与えられました。接収時は車内が荒廃していたことから大井工場で区分室付近を大幅に改造し、昭和21年1月から主に病院列車に連結されて使用を開始しました。7月には川崎重工方式の冷房装置を取り付ける改造を受け、その際にTR76形3軸ボギー台車から鋼製車標準のTR73形3軸ボギー台車に履き替えられ、名実ともに1等車の乗り心地となりました。この改造に際して形式がマイテ371形に変更となりました。
病院列車が廃止されると貴賓用に用途が変更され、軍名称もCOLUMBUSとなりました。マイテ371形は比較的使い勝手がよかったのか、接収解除となったのは1952(昭和27)年4月と、他の車両と比べても返還がかなり遅くなりました。
返還後は特急「はと」に使用するため大船工場で再整備が行われ、この際に三人用区分室が2室となり、荷物保管室および給仕室が復元されました。このため区分室の定員がマイテ582形とは異なります。復元作業中に称号規定が改正されたため、マイテ581形として出場しました。

スイテ372形は1945(昭和20)年11月に指定され、軍番号は2102(軍名称BOSTON)が与えられました。品川駅構内に疎開されていたこともあって痛みが少なく、接収後直ちに整備のうえ使用されました。1949(昭和24)年10月に接収解除されるまで、ほぼ原形を保ったまま使用されていました。したがって区分室も三人用区分室と六人用区分室がそれぞれ1室ずつ設置されていました。昭和25年の特急「はと」の新設の際に大船工場で整備・冷房改造が行われてマイテ372形となりました。1953(昭和28)年の称号規定の改正によりマイテ582形となりました。


Ymw00410

車体色については従来通りぶどう色1号でしたが、1等車を表す白帯については特別軍用客車に使用されていることや、外国人との乗車トラブルに配慮したことから薄クリーム色とし、1等の標記をしていました。
1956(昭和31)年11月19日の東海道線全線電化の完成で、それまでのぶどう色1号から淡緑5号へと車体を塗り替え、従来の特急列車のイメージを一新させました。短期間での塗り替え作業になることから、等級帯については1等車、2等車とも省略されました。この塗装はのちに青大将と呼ばれ、後世に長く語り継がれることになりました。

1958(昭和33)年に誕生した20系電車特急「こだま」はデビューと同時に人気が高くなり、電車特急の評判が上がるにつれて従来の客車特急に対する所要時間や車内設備の陳腐化が目立ちはじめてきました。そこで国鉄は伝統ある客車特急「つばめ」「はと」の電車化をついに決定したのでした。
青大将に塗られて東海道本線を疾走した客車特急「つばめ」「はと」は、1960(昭和35)年5月31日をもって151系電車化されることとなり、国鉄電車史上もっともゴージャスなクロ151形パーラーカーの登場によって1等展望車の歴史はここに幕を下ろすことになったのです。
「つばめ・はと」の電車化による実質的な1等展望車の廃止により、3等級制から2等級制に移行したあと、マイテ58形はマロテ581・2形と形式を変更しました。1962(昭和37)年には2両とも廃車となりました。


Ymw00411

模型は激動の時代を過ごした接収車両の中で、比較的形態変化の少なかったマイテ582形を模型化しています。1等展望車でいちばん目に付く展望デッキ部分は、マイテ39形に続くプラスティック製展望車の第二弾ということもあって、前作に続いて上手にまとめられている感じがあります。

その展望デッキ部分はダブルルーフとシングルルーフという構造的な違いがあるにせよ、両形式で異なる柵の形状を的確に造り分け、点灯式のバックサインはもとより、円板の付いた尾灯も小型のLEDを使用して点灯可能としていることから、模型としての完成度はかなり高いと思われます。
マイテ58形のデッキ柵がすっきりしているのと明るい塗装もあいまって、マイテ39形と比べるとテールライトへの配線がやや目立ってしまいましたが、ディテールを重視して点灯しないことよりも、若干の犠牲を払ってでも点灯可能となった方が、模型的には効果が大きいので私は充分に満足しています。


Ymw00412

マイテ39形では車体側面にずらりと並んだリベットがクラシカルな雰囲気を出しているのに対し、マイテ58形では全溶接構造となってリベットがないこと、車体側面に並ぶ1200mmと1000mm幅の広窓を採用したこともあって、とてもスマートで近代的な印象となりました。ウィンドシル・ヘッダーも適度な厚みで表現され、窓枠の引っ込み具合や窓ガラスとの適合性、そして窓ガラス自体の透明性や平面性についてはまったく問題がなく、窓周りについてはこのモデルのクオリティの高さを表しているのではないでしょうか。


Ymw00413

特急列車が駅を通過する際には、安全確認のために車掌がホームの監視をしていくのは今も昔も変わりません。マイテ58形では4位側に車掌室があるのでそこから監視を行いましたが、3位側には車掌室がないことからホームを通過する際にはデッキドアの窓を降ろして監視することになっていました。
細かい部分ですがモデルはこの車掌室の下降窓を、他の窓に比べて奥まっている感じでしっかりと再現しています。


Ymw00414

車体構造はスハ32形の途中から採用となった丸屋根構造となっています。旧形客車の印象を左右するのは車端部の造作に尽きると言ってもいいでしょう。真鍮製のキットを組み立てるにあたってもこの部分の表現には特別に気を遣う部分でもありますが、モデルではシングルルーフの屋根は車体とは別パーツとなっており、はめ込み具合も良く隙間もまったく目立ちません。ベンチレーターは2ピースのパーツを組立、屋根上のステップも編み目が表現された別パーツが接着されています。
3、4位側の妻板は標準的な丸屋根構造となっており、雨樋や縦どいなども表現されています。その他にも尾灯や検査票差しや尾灯掛け、幌枠ステーなどが一体成型で控えめに表現されています。妻ハシゴについては別パーツを取り付けていますが、プラスティック製ゆえに線の太さは仕方ないでしょう。踏み板と一体成型された幌枠はグレーに塗られ、連結部のみライトグリーンに塗り分けられています。


Ymw00415

このデッキ部分は意外と細かな造作が多く、模型化するうえで手こずる部分でもあるのですが、このあたりはプラスティック成型の面目躍如とも言える部分で、とてもすっきりと仕上がっています。デッキドアに付く手すりは金属線を使用しており、塗装もされていることから他社のプラ製客車のようなフニャフニャ感や色調の相違といった違和感はありません。なによりもデッキドアの上に表示された「1等」がいいですね。モデルは4位側のデッキドアを埋めた状態を再現しています。


Ymw00416

マイテ58形の台枠はUF51Aを使用していますが、モデルでは残念ながらマイテ39形のUF47をそのまま流用しています。台枠は旧形客車独特の全長を貫く中梁と大小の横梁そして筋違梁、横手に貼られた床板が一体に表現され、ブレーキ主管や蒸気トラップの一部の配管、ブレーキ引き棒やテコ装置までがこの床板に一体成型されています。
端梁部分はカプラーポケットを兼ねた別部品となっており、アンチクライマーの有無やジャンパー栓受けの形態など、ここでマイテ39形とマイテ58形の相違を造り分けています。ネジ一本で連結器をケーディーカプラーに交換することが可能となっています。


Ymw00417

ほとんどの床下器具は別パーツ化されており、水タンクや大型の蓄電池箱、大小のエアータンクやブレーキシリンダー、二連に並んだ車軸発電機などが目を惹きますが、なんといっても冷房装置に関連する発電装置や凝縮ユニットなど適度に表現されていて好感が持てます。これらの床下機器は取付足を介して床板に接着されており、つや消しの黒色で塗装されていることもあいまって他社製品のようなプラスティック感は感じにくいと思います。
TR73形3軸ボギー台車は前作と同様の出来で、ブレーキ引き棒も表現されスポーク車輪の転がり性能も良好です。

11月19日の電化開業にともなう塗装変更については、当日まで極秘で進められることとなりましたが、専用車両は予備車が少ないことから困難を極め、機関車を含めた編成全体が新塗装になったのは一番列車のみでした。12月2日までには特急「つばめ」「はと」の全車両が新塗装に変更されたので、しばらくの間は混色編成が見られました。この特急塗装になったのは「はと」を担当する品川客車区ではマイテ58形(1・2)、マイテ49形(2)、スロ54形(12・13・31・32・39〜47)、スハ44形(14・15、19〜28)、スハニ35形(4〜6)、オシ17形(3・4)、マシ35形(12)、「つばめ」を担当する宮原客車区ではマイテ39形(1・21)、マイテ49形(1)、スロ54形(14〜21、33〜38)、スハ44形(1〜13)、スハニ35形(1〜3)、オシ17形(1・2)、マシ35形(11)となりました。

2014年5月19日 (月)

客車特急「はと」その1

Ymw00396

手作業による伝統的な高級真鍮模型製品で有名な天賞堂は、近年になって安価なプラスティック製品やサウンド装置を搭載したダイキャスト製品といった製品を展開するようになってきました。なかでもプラスティック製品(天ぷらと称される!?)は蒸気機関車(C55形、C57形、C58形、C62形、9600形、C11形等)、電気機関車(EF56形、EF57形、EF59形、EH10形、東芝40t標準凸型電気機関車等)、電車(103系、500系新幹線)、気動車(キハ10系、キハ20系、キハ55系等)、客車(オハ60形、スハ32形等)、貨車(ワキ5000・8000・10000形、コキ5500形等)と豊富にラインナップされ、新たなシリーズとして現在も新製品が続々と登場しています。


YMWではこれらの“天ぷら”客車シリーズのうち、第1弾であるオハ60形については様子を見ているうちに品切れとなったことから増備を見送り、第2弾であるスハ32形・スハフ32形については晩年仕様の北海道形を、マニ36形荷物車については電暖付きをそれぞれ増備してきました。そして集大成となる客車特急シリーズの第一弾である「つばめ」についても、以前のブログでお伝えしたように増備してきました。

Ymw00397

YMWでは発売間もない「つばめ」をフル編成で配属し、急行「ニセコ」用の牽引機であるダイキャスト製のC622号機を急遽牽引機に仕立て、“なんちゃって”ではあるもののサウンドを轟かせながら楽しんでいました。スワロー・エンゼルに牽かれるその姿は、他のどんな列車も寄せ付けないほど圧倒的な存在感で、わが鉄道のクイーンとして君臨しています。
その時すでに次回以降のシリーズとして「はと」や「はつかり」の製品化が予告されていました。その第2弾として青大将「はと」が一年の時を隔てて発売されることとなったので、わがYMWにも増備することになりました。
製品発売から時間が経過しているのでリアルタイムではありませんが、いつものように私なりに思うところを記していきたいと思います。


Ymw00398_2

当時の特急列車は現代の大衆化されたそれとは異なり、まさに特別な存在でした。列車の最後尾には白帯を巻いた1等展望車が誇らしげに輝き、青帯の2等車や食堂車の連結が他の列車と一線を画していました。食堂車ですら洋食堂車と和食堂車には格差があった時代で、3等車といえどもごく限られた人しか利用できませんでした。

東京駅〜下関駅を結ぶ1・2列車「富士」は1等車・2等車のみと洋食堂車で編成され、関釜連絡船経由の欧亜連絡特急として国際列車の性格を持っていました。それに対して同区間を結ぶ3・4列車「櫻」は3等車を主体とし、和食堂車を連結していたことから大衆的な列車となっていました。
1930(昭和5)年には東京駅〜神戸駅を結ぶ11・12列車「燕」が新設されました。こちらは1・2・3等車と洋食堂車を連結しており、それまでの所要時間を2時間も縮めた事から「超特急」とも呼ばれ、特別に整備されたC51形蒸気機関車の次位に水槽車を連結し、長距離無停車運転を行うなど高速化に主体がおかれた列車となりました。
また、同区間を結ぶ1031・1032列車「鷗」も臨時列車扱いながらも1往復が設定され、この時期が戦前における鉄道黄金時代を形成していました。
しかしながら戦争の開始とその戦況の悪化により特別急行列車は次々と格下げや運転休止となり、1944(昭和19)年には特別急行列車として最後の灯を守り続けていた「富士」が運転休止となってしまいました。それ以降、終戦を迎えるまで日本には特急列車の走らない鉄道暗黒時代が到来したのです。

やがて終戦を迎えると連合国軍による進駐が始まり、日本は占領下のもとで復興を歩むことになりました。公共企業体となった国鉄は特急列車の運転再開を計画し、1949(昭和24)年に東京駅-大阪駅を結ぶ11・12列車特急「へいわ」を東海道本線に復活させたのでした。
復活時の編成はオロ40形2等車やスハ42形3等車、スハニ32形3等荷物車といった在来型の車輌(それでも特急用に特別整備されていた)を寄せ集め、連合国に接収されずにいた休車状態の1等展望車を修復し、3等車から復元された食堂車を連結して辛うじて特急列車としての体裁を整えました。特急「へいわ」は1950(昭和25)年には1・2列車「つばめ」に改称されたことから、「平和は長続きしない」と揶揄されたのも、当時の有名な語り草となりました。
その後、連合軍との確執によって登場したスロ60形特別2等車(特ロ)に、スハ43形を発展させたスハ44形3等車、およびスハニ35形3等荷物車、そしてマシ35形食堂車の落成で堂々たる特急列車の姿となり、復興した日本を象徴するかのように東海道本線を颯爽と走り抜けたのでした。


Ymw00399

こうして復活した特急「つばめ」は好評をもって迎えられたことから、国鉄ではさらに特急列車の増発を計画し、1950(昭和25)年の6月には姉妹列車として11・12列車(のちに3・4列車に変更)特急「はと」を誕生させたのです。
「つばめ」は大鉄局(大ミハソ)、「はと」は東鉄局(東シナ)がそれぞれ担当し、「つばめガール」や「はとガール」が乗車しそれぞれ接客サービスを競い合ったのも有名です。

当時の東海道本線は東京駅ー浜松駅間と関西圏が電化されているにすぎず、電化区間ではEF57形電気機関車が、浜松駅以西はC59形蒸気機関車が牽引していました。このため浜松駅では牽引機を交換するために停車時間が取られ、プラットホームでは長旅の疲れをほぐすためラジオ体操が流れたり、ハーモニカを売ったりする光景が見られました。
その後、電化区間は名古屋駅、米原駅へと延伸し、牽引機関車もEF58形電気機関車とC62形蒸気機関車という当時最新鋭の機関車に牽引されることになりました。


Ymw00400

国鉄は東海道本線の近代化とスピードアップを狙い、残っていた米原駅—京都駅間の電化工事を急ぎ、1956(昭和31)年11月に電化工事が竣工。東海道本線は晴れて全線電化を達成させたのでした。その電化工事の竣工とイメージアップを狙って、特急列車の機関車と客車の塗装を一晩のうちに焦げ茶色(ぶどう色1号)からライトグリーン(淡緑5号)に変更して、世の中を驚愕させたのは有名なエピソードです。
その際に牽引機関車であるEF58形電気機関車についても、従来のぶどう色から淡緑色と台枠部分を黄色に塗り分けた専用塗装に変更し、機関車と客車を含めた列車全体がライトグリーンになったことから「青大将」との異名をとり、東海道本線のクイーンとして君臨しました。

こうして戦後の日本の復興を担った特急「つばめ」「はと」でしたが、1958(昭和33)年11月に新たな構想による冷暖房完備の20系電車特急「こだま」が誕生すると、次第に所要時間や車内設備の陳腐化が顕在化し、1960(昭和35)年6月1日に151系電車化されることになり、ここに客車特急の歴史に幕を下ろすことになったのでした。


Ymw00401


天賞堂のプラスティック製品は客車特急シリーズ第1弾となる「つばめ」では、マイテ39形1等展望車、スロ60形特別2等車、スハ44形3等車、スハニ35形3等荷物車、そしてマシ35形食堂車という内容で発売されました。ぶどう色1号に塗られた車体の窓下には、1等車と2等車をあらわす白色と青色の等級帯をまとったオリジナルの姿でした。

わがYMWではマイテ391等車、スロ60形特別二等車x5、スハ44形3等車x5、スハニ35形3等荷物車、そしてマシ35形食堂車という陣容で最盛期の「つばめ」を再現しています。前述したように専用の牽引機についてはデフレクターのつばめマークが誇らしいC622号機をメインに、レストア中のEF57形電気機関車がその完成を待っている状態になっています。

Ymw00402_2

第2弾となる「はと」では、マイテ58形1等展望車、ナロ10形特別2等車、スハ44形3等車、スハニ35形3等荷物車、そしてオシ17形食堂車という内容で発売され、東海道本線全線電化記念として淡緑色に塗り替えられて「青大将」と呼ばれた姿となっています。
製品はマイテ58形とナロ10形、そしてオシ17形については完全な新規製作となり、10系軽量客車が2種類も製品化されたことは特筆に値するでしょう。これは第3弾となる特急「はつかり」に向けての布石とも言えましょう。なおスハ44形、スハニ35形については従来品を塗り替えて対応しています。基本セットにはスハニ35形、オシ17形、ナロ10形、マイテ58形の4両が含まれ、増結用の単品としてナロ10形とスハ44形が用意されました。

今回製品化された特急「はと」は東海道本線全線電化完成を機に塗り替えられた「青大将」の姿なので、わがYMWではいちばんオーソドックスな12両編成としました。内訳はマイテ58形1等展望車、ナロ10形特別2等車×5両、スハ44形3等車×4両、スハニ35形3等荷物車、そしてオシ17形食堂車という内容で編成を構成しました。
この時期は外国人観光客が多く来日した頃でもあり、1等展望車と2等車との間に増結する形で供奉車を前身とするマイ38形1等車が連結されたこともありました。模型でもそれを再現するためフジモデルのマイ38形の真鍮製バラキットを性懲りもなく揃えてしまいました。


Ymw00403

天賞堂のプラスティック製品は基本的にレディ・トゥ・ランとなっているので、ユーザーによる基本的なパーツの取付はありませんが、エアーホースや後部標識灯の円板については後付パーツとして添付されています。また室内灯については「つばめ」と同様に別売りとされており、実車に即して従来の電球色LEDタイプの他に、蛍光灯色を模した白色LEDタイプが新たに製品化されました。また行き先サボシールも発売され、より臨場感を得られるようになっています。


Ymw00404_2

この「はと」の発売と合わせるようにカンタムサウンドを搭載したEF58形電気機関車が改良・再生産されました。今回はリクエストの多かった上越形の他に青大将塗装のEF58形電気機関車も発売されたので、編成美の観点から専用牽引機として揃えました。余談となりますが、ダイキャスト製EF58形電気機関車については、原型フィルター、ヨロイ型フィルター、上越型と増備してきましたが、ここまでバラエティ豊かに製品化されるなら晩年の浜松区のHゴム改造機が欲しくなってしまいます(使用目的はもちろんあの荷物列車)。そして意外と同一形式が増えてしまったことに戸惑いを隠せずにはいられません。

第1弾の「つばめ」では製品のクォリティーも高く、客車好きのYMWを十分に満足させる内容でしたのが、第2弾となる「はと」も期待を裏切らない出来だと思いました。なによりも10系客車が製品化されたことをYMWでは素直に喜んでおります。では、次回より少しだけ細かいインプレッションを記していきたいと思います。

2014年4月29日 (火)

E5系はやぶさ

Ymw00380

ついこの前の雪見旅行で乗車したE6系こまち。
そして一昨年に乗車したE5系はやぶさ。
雪見旅行という名のもとに鉄旅が復活して東北地方をあちこち巡るようになってくると、利用する機会の増えた新幹線にもなんとなく親しみを感じるようになりました。

そんなYMWに新幹線が配備されるとは思いませんでした。
それも東北新幹線最新鋭のE5系はやぶさです。


Ymw00381

東北・上越新幹線も開業して30年がたち、0系新幹線のデザインを汲む200系新幹線はすでになく、E5系やE6系そして開業を控えた北陸新幹線用のE7系といった次世代の車両が主力となってきました。

思い起こせば30数年前でした。
私がこの趣味に入門したての頃に見た鉄道ファン誌の広告に釘付けとなってしまいました。
カツミ模型店の0系新幹線の1000番台小窓車です。
エッチングで抜かれた屋根上のルーバーが繊細で、子供心にとても衝撃的に映ったのでした。

0系新幹線の食堂車で食べたハンバーグ定食やアイスクリームの思い出がありながら、残念なことに新幹線電車をYMWのコレクションに加えることはありませんでした。
しかし、今回、こうしてKATOから製品化されたE5系「はやぶさ」を目の前にすると、その出来の良さに思いがけずコレクションに加えることになってしまったのです。


Ymw00382

JR東日本のE5系新幹線は次世代の東北新幹線として2011(平成23)年にデビューしました。
最高速度は国内最高の時速320キロを誇り、東京~新青森を3時間10分で結ぶ「はやぶさ」として活躍しています。
ロングノーズの先頭形状による騒音防止、フルアクティブ動揺制御装置、車体傾斜装置の採用による曲線通過時の乗り心地向上といった環境と人に優しい車両となったほか、グランクラスと呼ばれるグリーン車のアッパークラスの新設や居住性の向上といったサービス面でも新しい試みが導入されました。
車体色は飛雲ホワイトをベースに常盤グリーンというメタリック色が塗られ、つつじピンクの帯がアクセントとなった斬新なカラーリングとなっています。


Ymw00383

模型界においても新幹線車両は一定の人気があるようで、Nゲージ、HOゲージともにほぼすべての形式が製品化されています。HOゲージではブラス製品が意外と充実しており、カツミ模型店やエンドウから0系から最新鋭のE6系までほぼすべての形式が製品化されています。
一方、プラスチック製品では昔懐かしいイタリアのLIMA社製0系という珍しいものもありましたが、現行の製品としては天賞堂の500系から始まり、造形村の0系、そしてKATOのE5系とまだまだ黎明期といえる状態ではありますが、少しずつ充実してきたように思います。

パッケージは4両基本セットがE523、E525-100(M)、E526-400、E514。4両増結セットはE526-100、E525(M)、E526-200、E525-400。そして2両増結セットはE526-300、E515という構成で実物同様の10両編成を組むことが可能となっています。
基本セットにはボディマウント方式で台車もほとんど見えないことから、線路に乗せるためのリレーラーが付属されているのも特徴です。

最近ではプラスチック製品と言えども価格上昇は否めません。しかしながらKATOの製品は驚くほどコストパフォーマンスに優れ、前回のEF510形電気機関車と同様にかなりのロープライスで製品を提供しています。


Ymw00384

KATOのE5系は全体的な印象は言葉に尽くすこともないぐらい良くできています。
E5系の特徴とも言えるロングノーズの先頭形状やボディマウント方式の下回り、側面のスマートな造形など、プラスチック成形の長所をふんだんに発揮した製品ではないでしょうか。
特にロングノーズの先端部から運転席に向かう複雑で微妙なラインも破綻することなく再現され、段差もなく運転席窓ガラスに続く成形技術は、さすがKATOの面目躍如とも言えるのではないでしょうか。
動力装置は同社のEF510に端を発する新システムを採用して、スケールスピード320km/hを再現できるようになっており、静粛性、安定性の高い走行性能を有しています。


Ymw00385

実車では新青森寄りのE514にE6系こまちを連結するので、先頭部には自動連結器が装着されています。模型においても実車同様のオープンノーズカプラーが内蔵されており、将来の発展性を予感させる楽しい試みとなっています。
その連結器を説明書にしたがって注意深くオープンさせてみました。
すると何かに似ていませんか?

ジンベイザメのあくびです。
まあジンベイザメがあくびするかどうかはわかりませんけど・・・。


Ymw00386

YMWでは新製品が配備されると、決まって分解作業を行うのが恒例です。
今回も説明書を参考に分解を行ってみました。
ただし先頭車はやや難しいようなので、まずは中間車、それもモーター車の分解を手始めに行ってみました。
いずれ室内灯を取り付ける予定なのでその予行演習も兼ねているのです。
車体をひっくり返すとボディマウント方式の車体なので床下は非常にあっさりとしています。


Ymw00387

通常の製品のように車体の四隅に車体と床板を止めるツメがあるので、台車部分の車体を拡げるようにすると外れるのですが、いかんせんボディマウント方式の車体なので開口部が狭まっており、うまく外すにはコツがいるようです。
うまく車体が外れても連結部の車体間ダンパーもあることから、分解時に引っ掛けて破損しないように注意が必要でした。
車体と座席部分そして床板に分かれるのは従来の製品と同じ構成です。
車体は裾部のスカートから屋根まで一体整形されており、もともとディテールの少ない側面はあっさりと表現され、側面全長にわたるスカートやルーバー類も的確に表現されています。


Ymw00388

座席パーツは床板の集電板やウェイトの押さえを兼ねているのと、伸縮機構の連結器の取付ベースも兼ねたグレーの成型色となっています。EF510に端を発する新型動力装置を採用しているので、車体中央部は3+2列の座席が座面までモールドされているのに対し、台車付近は背の高い駆動装置の構造もあって背もたれしか再現されていません。今後の新製品において新動力装置を採用する場合はこのような傾向になるのでしょうか。


Ymw00389

従来のKATOの動力装置は車体中央にモーターを設置して長いシャフトとユニバーサルジョイントを介して両端の台車に動力を伝えていましたが、EF510形電気機関車から始まる新動力装置はいわばパワートラックを近代化させた構造であるといえます。すなわち、小型のコアレスモーターにフライホイールを取り付けたユニットから減速ギアを介して車輪を動かすという台車懸架方式になっています。
スケールスピード時速320キロを再現できることからギア比も高速用になっているはずです。
説明書には高速走行を可能にするため勾配で停止すると坂を下ることがあると記されていますが、確かに車両を押してみると従来の車両のように滑走しないでゆっくりと車輪が動くことから、おそらくコースティングギアになっているのでしょう。
いずれにしてもスムースで静かな動きはKATOらしい製品です。
台車のディテールはそのほとんどがスカートで隠れてしまいますが、省略することなく細かな表現がされており好感が持てます。


Ymw00390

屋根上には赤く塗られたシングルアームのパンタグラフが目立ちます。
華奢な腕は頼りない感じがしますが、軽量化が考慮された舟形の台座ともあいまって騒音の軽減に貢献しているのでしょう。従来のパンタグラフのようにツメを外すと自動的に上昇するわけではないので、指で姿勢を調整しながら上げる必要があります。
パンタグラフの両脇にある大型のパンタカバーも内側のボルト類まで表現さいれているのには驚きました。編成で2個あるパンタグラフは走行時に1カ所しか使用しない事を考えると、集電性能もかなり向上しているのでしょう。


Ymw00391

Ymw00392

中間連結器はこの製品の特徴ともいえるもので、ダミーの連結器をモールドしたグレーの貫通路を模したパーツと車体間ダンパーを模した黒色パーツの組み合わせからなるカプラーにより連結を行います。この貫通路同士を水平に密着させて連結し、切り離すときは垂直に持ち上げて解放させるようになっています。
わざわざ質感の異なる別パーツとしている妻板は、なぜこのような構造に? と疑問が湧いたのですが、実物の連結面を観察してみるとその理由がよくわかりました。車体間ダンパーの存在も含めて「なるほど」と唸ってしまうぐらい上手に処理されているように思いました。これで全周幌が省略されていなければ、もっとよかったのではないでしょうか。


Ymw00393

Ymw00394

伸縮機構を備えているので連結面間隔が実感的で、曲線通過時もスムースに走行することが可能です。最小通過曲線はR370mmとなっていますが、新幹線である以上なるべくゆったりとした曲線を走行させたいものです。
実物同様に車体傾斜装置が付いているので、曲線部分で車体がわずかに傾くのが写真で見てもわかると思います。


Ymw00395_2

塗装は艶のある飛雲ホワイトとメタリックの常磐グリーンがきれいに塗装され、それらを隔てるつつじピンクの帯が一糸乱れないさまはKATOの技術力の高さを示しています。ロゴマークや号車札はあらかじめ印刷されており、ユーザーが手を加える余地はほとんどありません。
行き先表示は「はやぶさ7号新青森行き」となっています。
なお、他の列車に設定するための行き先表示シールが添付されています。


こうしてYMW史上初めての新幹線電車——それも最新鋭のE5系はやぶさ——が導入されて、そのクオリティの高さにすっかりやられてしまったわけです。
今後の展開などを予想すると、やはりE6系こまちを期待してしまいます。
緑と赤の競演。
なんか、想像するだけでとても楽しいではありませんか。

2014年3月29日 (土)

角館・冬景色(3)

JR角館駅は武家屋敷をイメージした駅舎になっていて風格を感じさせる建物ですが、その左側には今にも雪に埋もれそうな小さな駅舎がありました。この建物が秋田内陸縦貫鉄道の駅舎なのです。
こじんまりした駅舎には出札口と改札口、そして小さな待合室だけ。
我々以外には乗客の姿はありませんでした。


Ymw00362

出札口で鷹巣駅(JRは鷹ノ巣駅と標記)までの片道乗車券1620円と急行券320円を求めました。
最近ではすっかり珍しくなった硬券です。
乗車券箱から切符を抜き取り、日付を刻印する駅員の所作がとても懐かしく感じます。
そして子供用の半券をはさみで切り取るのも懐かしい光景で、ここだけ時間が逆回転しているような錯覚に陥ります。

外廊下で繫がっているJRの駅舎へ向かうとコンビニ形式の売店がありました。
鷹巣駅までは約2時間の道のり。
お弁当とおつまみとお酒を買って雪深いローカル線の道中を楽しむことにしました。


Ymw00363

秋田内陸縦貫鉄道は国鉄時代に奥羽本線の鷹ノ巣駅と田沢湖線の角館駅を結ぶ鷹角線として計画されました。1963(昭和38)年に阿仁合線(鷹ノ巣〜比立内)、1971(昭和46)年に角館線(角館〜松葉)として開通しましたが、全線開通することもなく両路線とも国鉄末期には赤字ローカル線として廃止対象となる特定地方交通線に指定されてしまいました。1986(昭和61)年にはそれらの路線を引き継いだ第3セクター方式の鉄道として再出発し、1989(平成元)年に未開通区間であった比立内〜松葉の完成に伴ってようやく悲願の全線開通を遂げたのです。

国鉄時代は田沢湖線と角館線というローカル線同士の分岐駅だったので、旧角館線である秋田内陸線は駅本屋のあるホームのはずれから出発する形になっています。このような構造は当時の国鉄の分岐駅によくある構造で、だいたいが貨物側線と一緒になっていました。
その跡地を利用しているのか、ホームの脇には車庫らしき建物がありました。

別会社になってしまったので、当然のことながら柵が設けられて、自由にホームを往来することは不可能となっています。小型の車両が2両で一杯になってしまうホームには何もなく、ただ駅名標があるのみでした。


Ymw00364

短いホームには急行「もりよし2号」が停車していました。急行列車といってもわずか2両編成のコンパクトな列車ですが、進行方向前方にはお座敷車両AN-8808形、後方にはカラフルな塗装も楽しい展望車両AN-2001形が連結されており、新春雪見列車として特別運行されていたのでした。


Ymw00365

先頭車のお座敷車両AN-8808形の車内はこんな感じです。
通路の両側に掘り炬燵形式のテーブルが並べられ、腰掛けは畳敷きになっていました。
TVモニターもあるのでカラオケ列車としても運行されているのでしょう。


Ymw00366

後方の展望車両AN-2001形は大きな窓にクロスシートが配置され、小型のテーブルを挟んだ4人席となっています。とても明るい車両でした。
せっかくなので我々一行はお座敷車両に陣取りました。

発車時刻が迫ってきました。
お座敷車両にはそこそこの乗客がありましたが、展望車両にはそれほどいませんでした。
明らかに同業と思われる方が数名いました。
人間よりも空気の方を多く運んでいるのが、悲しいかな、地方私鉄の厳しい現実です。


Ymw00367

発車してしばらくは田沢湖線と併走しています。
天気もよく、のどかな角館の雪原を走っていきます。
車窓に映る遠くの山々に向かって進んでいくのでしょうか。
穏やかな景色の中を列車は軽快なジョイント音を刻みながら走っています。


Ymw00368

テーブルの上にはお酒と駅弁とおつまみが広がっています。
「もりよし号」は急行列車ということもあって観光アテンダントが乗車していました。
あきた♥美人ラインと銘打っているだけに秋田美人。
車内販売ワゴンを押しながら要所要所で観光案内をしてくれます。
社員が作ったというお土産までもらいました。良い記念になります。
楽しいアナウンスと旺盛なサービス精神で好感度アップでした。


Ymw00369

宴会を続けながら列車は淡々と走っていきます。
やがて雲行きが怪しくなり、景色が一面の白色に覆われてきました。
お座敷車両はワンマンカーなので先頭部は鉄ちゃんにとっては展望席です。
少しずつ雪深く、そして山が近づいてきました。
レールも雪に埋もれ始め、右に左にカーブしていきます。

松葉駅を過ぎると列車はいよいよ人里知らない山奥へと進んでいきます。そして戸沢駅を通過すると列車は秋田県内最長の十二段トンネル(5697m)に突入しました。このトンネルはほぼ一直線に作られており、列車の最前部で眺めていると分水嶺を超えたあたりから微かに出口の明かりが見えるのです。

トンネルを抜けて最初に停車するのが阿仁マタギ駅。
このあたりは完全に山の中で積雪量も多く、雪見を堪能するには最適です。
そして旧阿仁合線の終点だった比立内駅に停車。
その後阿仁合駅、阿仁前田駅、米内沢駅、合川駅の順に停車していくと、車窓には再び民家の姿が見えるようになってきました。
そして「もりよし2号」は定刻通り14:13に鷹巣駅に到着したのです。


Ymw00370

鷹巣駅はJR奥羽本線と接続しており、JRの駅名標には鷹ノ巣となっています。
秋田内陸線は旧国鉄阿仁合線の始発駅だったことから、JRのホームを間借りしているように感じます。角館駅ではホームに柵があって完全に分離されていましたが、鷹巣駅は両者を隔てる改札口も柵もありません。

列車が到着すると駅員がホームまで出向いてきました。
凍えるような雪の中、初老の係員が切符を回収するため立っています。
風雪に耐えて職務に励む姿は北国の鉄道の力強さと信頼を感じます。


Ymw00371

鷹ノ巣駅14:20発の特急「つがる3号」はE751系電車の4両編成でした。大雪の影響でやや遅れて到着しました。先頭部にはぎっしりと雪が付着しています。
特急列車で鷹ノ巣駅から青森駅まではおよそ1時間30分ほどの道のりです。
奥羽本線と言っても秋田駅から青森駅までは裏日本縦貫線の一部を形成しているので、対向列車とすれ違ったり、途中駅では貨物列車が待避のために止まっていたりと、車窓から目が離せません。

弘前駅では弘南鉄道も見えました。雪深い中で見る元東急のステンレスカーは都会で見ていた姿とは違って新鮮に映ります。除雪用のED22形電気機関車も見えてなかなか目を楽しませてくれます。
それにしても雪深い。
曇ったり吹雪いたりで車窓の眺めは悪く、期待していた津軽富士と呼ばれる岩木山は残念ながら見ることができませんでした。

やがて、新幹線との連絡駅となる新青森駅を出発し、終点青森駅に到着しました。
青森駅は東北本線(現青い森鉄道)と奥羽本線の終着駅となることから、その構造上デルタ線になっていてかなり複雑な線路配置をしていたような記憶があるのですが、その思いとは裏腹に特急「つがる号」はあっさりとホームに進入しました。


Ymw00372

青森駅にはほぼ定刻の15:46に到着しました。
何十年ぶりの青森駅です。
青函トンネルを経由して函館へ向かう789系スーパー白鳥や、青い森鉄道を経由して大湊へ向かうキハ110系快速しもきたがホームに並んでいました。


あの日、東北新幹線開業間もない福島駅で「やまびこ」を降りて奥羽本線のホームに向かうと、そこにはED78形電気機関車とEF71形電気機関車を連結して板谷峠のスイッチバックに挑む、古色蒼然とした旧形客車で編成された下り普通列車が待っていました。記憶が正しければこの列車は途中駅で長時間停車をしながら列車番号と行き先を変え、最終的には秋田駅まで到達したような記憶があります。最後尾に陣取り板谷峠のスイッチバックを旧形客車で越えて、うだるような暑さの庄内平野を秋田駅まで向かい、奥羽本線のラストスパートを大阪駅発の白鳥号(記憶は曖昧だけど)に乗って青森駅まで向かったのです。
終着を知らせるアナウンスが響きわたるホームに吐き出されると、長旅で疲れた表情を一様に浮かべながら、人々は寡黙に連絡船乗り場への長いコンコースを歩いていくのです。その人波の中に青森駅のホームを踏む自分がいました。初めて渡る北の大地へ期待に胸を躍らせながら、そして到着直前に配られた乗船名簿にほんの少し戸惑いを感じながら、少年だった自分は暗いコンコースをひたすら歩いたのです。
初めての青函連絡船は真夜中の出航でした。
興奮して眠れなかった記憶があります。


Ymw00373

あれから30年。
降り立ったホームの先頭へ走る人は、もはや、誰もいません。
貨車の入替をする賑やかなホイッスルも聞こえません。
しかし、到着したホームの隣には青函トンネルを走り抜ける「白鳥」が停車していることが、その30年という歳月のあまりにも大きな変化を、そして戻ることができない事実を知らせてくれるのです。


Ymw00374

胸の内に去来する複雑な思いを抱きしめながら、市内への出口となる改札口へ向かいました。
階段を上がり跨線橋を渡っていくと、窓の彼方にはメモリアル・シップとして係留されている青函連絡船が見えました。しかしその姿は決して過去の栄光的なものではなく、目の前に横たわる青森ベイ・ブリッジの巨大な斜張橋のケーブルによって、まるで捕らわれた籠の鳥のように思ったのは自分だけでしょうか。

駅前を歩くのは今回が初めてでした。
とにかく寒い。
気温は氷点下。

寒さに耐えながら青森魚菜センターへと向かいました。
目的は「のっけ丼」を食べるためでした。「のっけ丼」といってもぴんと来ないかもしれませんが、好みのネタを市場内のお店で購入し、自分でオリジナルの海鮮丼を作り上げていくのです。
しかし、到着したのはほぼ閉店前。
お店のショーケースには見事に何もありません。
市場は朝早くではないとダメなようです。
気を取り直して駅まで戻りました。


Ymw00375

Ymw00376

青森と言えば「ねぶた」と言っていいほど、仙台の七夕、秋田の竿灯と並んで東北三大祭りの一つとして有名です。駅から港に向かってすぐのところにこの「ねぶた」を展示する青森市の文化観光交流施設「ワ・ラッセ」があります。せっかくなので入館料を払って内部の見学となりました。
もちろん間近で見たことなどありません。
本物のねぶたの豪華絢爛さと迫力、そして美しさにしばし見入ってしまいました。

寒さの中歩き続けたこともあって小腹が空いてきました。
本来なら「のっけ丼」でお腹を満たす予定だったのですが、残念ながらありつけなかったのです。
ワ・ラッセの隣にあるお洒落な土産物屋を冷やかして駅に戻る途中、気になる看板がありました。
「ホタテ小屋」と書かれたその看板に惹かれるように店の中に入りました。
店内のつくりは簡素そのもの。まさに掘っ建て小屋のようにテーブルと椅子が並べられ、店の中央には生け簀がありました。
この生け簀にはたくさんのホタテ貝が入っており、制限時間内に釣り上げたホタテ貝をその場で調理してもらえるという趣向で、友人夫婦の子供がチャレンジして楽しんでいました。


Ymw00377

Ymw00378

時間的にそれほど余裕はありませんでしたが、それでもホタテの刺身、天ぷら、バター焼き、にぎり鮨など、新鮮なホタテを充分に堪能しました。
もちろん、日本酒で頂いたのは言うまでもありません。
我ながらよく食べよく飲むと感心します。


Ymw00379

青森駅に戻ったところでなにやらホームから湯気が立っています。
立ち食い蕎麦屋でした。
「八甲田」なんていい名前ではありませんか。
列車が発車するまでのわずかな時間でしたが、せっかくなので食べることにしました。少しでも外に出ていれば体が冷えてしまうこの季節、温かい蕎麦は身にしみます。湯気に包まれて蕎麦を掻きこみました。ところでこの写真をよく見てみるとホームの屋根が古レールで組まれているのがわかります。今となってはこうした屋根も珍しいものになってきました。

青森駅から新青森駅まではわずか一駅ですが、「スーパー白鳥」で向かうことにしました。青森駅と新青森駅の区間は特例区間として自由席であれば特急列車に乗車する事ができるのです。函館から来た「スーパー白鳥」は雪の影響で若干遅れをもって到着しました。青森駅では方向転換するために少し停車時間があるのです。その時間が我々のお蕎麦タイムだったのです。

ところで、今回使用した3連休パスのようなフリー切符には継続乗車制度があり、有効期間を過ぎても途中下車しなければ出発地まで戻れるという制度があるのです。これを利用して風前の灯火と言われる寝台特急「あけぼの」で青森駅から上野駅まで帰ろうと思ったのですが、ちょうどJR東日本から2014年3月のダイヤ改正で廃止(正確には季節列車に格下げ)されることが決まってしまい、指定券を入手することができませんでした。
「はやぶさ」が18:24に新青森駅を出発して東京駅に21:23に到着するのに対し、寝台特急「あけぼの」は18:23に青森駅を出発し上野駅に到着するのは翌日の6:58です。何とものんびりした列車ではありませんか。こうした列車が次々と姿を消していくのは、時代の流れとはいえ寂しいものです。

奥羽本線の新青森駅はホームが一面のみという、新幹線とのターミナル駅としては少し寂しい感じがしますが、やはりそれなりに降車客がいます。また1階にはお土産屋さんがとても充実しています。時間があればじっくり見ることができたのですが、乗り継ぎにはそんな余裕がありません。

帰りはE5系「はやぶさ」です。
同名の列車に乗ったのは今から30年以上も昔のこと。東京駅と西鹿児島駅を結んでいた寝台特急列車でした。もちろん、その当時の面影を残すものは微塵もなく、まったく別次元の新幹線列車として名称だけ復活したのです。
この列車は途中、盛岡、仙台、大宮しか停車しない速達列車です。
時速320キロ走行を体験したいがために選んだのです。
やはり、あっという間に東京駅に着いてしまったように思いました。
そして大都会のビルのネオンを見るにつけ、今年も雪見旅行が終わってしまったのだと、改めて感じるのでした。

3回に分けて紹介してきた今年の雪見旅行でした。

来年はどこへ行くのだろうか。

2014年3月 2日 (日)

角館・雪景色(2)

Ymw00345


寝呆けた体を覚醒するには外の空気に触れるのがいちばんです。
眠い目をこすりながら窓を開けました。

おお。

目の前には田沢湖が広がっていました。
一面の白い世界。
静寂に包まれています。

それにしても大きい。
湖面を覆っていた霧が少しずつ晴れてくると、静かに水をたたえた田沢湖がはっきりと見えるようになってきました。
田沢湖は日本一の水深(423.4m)を誇る湖で、水のきれいさは折り紙付き。
四季を通じて美しい姿を見せてくれるのです。
そして田沢湖で忘れてならないのは「たつこ姫伝説」でしょう。湖畔にひっそりと佇んでいる金色の「たつ子像」は舟越保武の秀作としてあまりにも有名です。この「たつこ姫の伝説」をモティーフにして龍神まつりが行われ、その御輿が田沢湖駅のホームに展示されていたのです。
宿の窓からはもちろん見えるものではありませんが、おそらく対岸あたりのどこかに彼女がいるはずなのです。


Ymw00346

朝風呂を済ませて朝食をいただきます。朝っぱらから盛りだくさんの内容です。昨晩はほんの少し飲み過ぎてしまいましたが、それでもご飯がとても美味しく、お代わりまでしてしまいました。

朝食を済ませて慌ただしく出発準備を始めました。
これから角館の武家屋敷を巡り、秋田内陸縦貫鉄道を経由して青森まで向かうのです。


Ymw00347

仲居さんの話では外の気温は氷点下。
屋根からぶら下がる氷柱も立派です。
寒さ対策はしっかりしておかないと、風邪を引きます。この寒さ対策のために防寒用のインナーを買ったほどです。
チェックアウトを済ませて、再び宿の好意で駅まで送ってもらうことになりました。
圧雪された道路をマイクロバスは何でもないように走っていきます。
やがて田沢湖駅が見えてきました。
運転手さんにお礼を言ってバスを降りました。

昨日は暗くてよく分からなかったのですが、ガラス張りの明るく近代的な2階建ての駅舎です。新幹線の停車駅でありながらローカル線の雰囲気があちこちに感じられる不思議な感覚です。キオスクでお茶を買い、田沢湖駅9:22始発の下り大曲行き普通列車に乗ることにしました。下り方面の普通列車はこれを逃すと13:25(!)までありません。定期列車にいたっては15:30までないのです。「こまち」ならほぼ30分ごとにあるのですが、一区間のために特急料金を払うのもばかげています。
田沢湖駅から角館駅まではおよそ20分程度の道のりとなります。


Ymw00348

ホームに停車していたのは701系5000番台という2両編成のローカル電車でした。701系は東北地方のローカル電車としてどこでも見かける形式ですが、この5000番台は田沢湖線を改軌・改良のうえ秋田新幹線として開業したときに導入された普通列車用の電車です。標準軌(新幹線と同じ線路幅1435mm)バージョンなので、車体の大きさと線路幅の関係がまさにHOゲージを眺めているようです。
友人の子供は初めて見る手動ドアに驚き、押しボタンで扉を開けるのが楽しいようです。
JR701系電車は登場当初はすべてロングシートだったので設備面での悪評が高く、私自身もそう思ってあきらめていたのですが、車内に入ってびっくりしました。4人掛けのクロスシートと反対側のロングシートが千鳥配置となった特異的な座席配置だったからです。やはりクロスシートに座らないと旅情を味わうことができません。

発車ベルが鳴ると列車は静かに出発しました。
いくつかのポイントを抜けると、列車はスピードを少しずつ上げていきます。
山あいの線路を列車は左右に身をくねらせながら進んでいきます。
風圧で線路脇の木を揺らし、列車は雪煙を巻き上げながら単調なリズムを刻んでいきます。


Ymw00349

天気は曇りのち晴れの予報。
線路脇の雪の壁が高く、列車の舞上げる雪煙が朝陽に反射して思わず目を細めてしまいます。
そして窓の外を見上げると青空が広がっているではありませんか。
天気の良さを期待しつつ、胸が高鳴っていきます。
やがて角館駅に到着しました。


Ymw00350

駅構内は地方の典型的な2面3線の線路配置で、下り列車は島式ホームに停車しました。
本屋に隣接するホームには「こまち」が停車していました。単線なので列車の行き違いがあるのです。乗ってきたJR701系電車はここでお別れ。雪の中を走ってきたのでお面はすっかり雪で覆われています。
昔ながらの跨線橋を渡るとそこには季節外れの桜が。
こんなところにも旅情をかき立てる工夫がしてあったのです。


Ymw00351

Ymw00352


みちのくの小京都と言われる角館は、三方が山に囲まれ一方は桧木内川と玉川に囲まれた城下町で、1620(元和6)年に芦名氏によって街作りが始められ、その後は佐竹北家によって発展してきました。火除けと呼ばれる広場を中心にして北側に上級・中級武士の武家屋敷が残る内町が、南側には商人や町人が住む外町が形成されました。特に北側の武家屋敷は重要伝統的建造物群保存地区として選定され、風情のある街並みを残しているのです。

春には桧木内川の河川敷に植えられたソメイヨシノが2キロにわたって桜並木のトンネルを形成し、武家屋敷の枝垂れ桜とも相まって桜の時期には大勢の観光客でとても賑わうのです。
でも我々は雪を見るための旅行です。
桜の花がなくても枝に降り積もった雪の花があればそれで充分。
雪景色の武家屋敷もなんと風情があることでしょう。

JRの角館駅は町の中心から少し外れており、武家屋敷が建ち並ぶメイン・ストリートまでは徒歩で20分ほど離れています。次の列車は12時過ぎの予定なのであまり散策にかける時間もありません。そこでいちばん離れた武家屋敷までタクシーで行き、そこから駅まで散策しながら戻ることにしました。
タクシーの運転手さんにその旨を伝えると快く目的地まで運んでくれました。しかも帰り道がわかるように道標まで丁寧に教えてくれたり、簡単に観光案内をしてくれたりと楽しい道中でした。
旅をしていていつも思うのは、地方の人々の心の温かさを実感することです。
雪景色で凍えた心にその温かさは本当に身にしみるのです。

武家屋敷通りのはずれでタクシーを降りると、そこは写真とは別世界の雪景色が広がっていました。


Ymw00353

Ymw00354

Ymw00355


思わず通りの真ん中で仁王立ちして写真を撮ります。
立派な枝垂れ桜の枝に雪が積もり、幾何学的なシルエットの向こうには青空が広がっています。
折からの風で枝から雪が舞い落ちると、まるでダイヤモンドダストに包まれたような美しい光景に、思わずため息が出てしまいます。

来てよかった・・・。
そう思う瞬間です。


Ymw00356

観光客もまばらな朝の武家屋敷通りは、静寂に包まれていました。
ときおり風にあおられて落ちる枝の雪がかさかさと音を立てています。
武家屋敷通りには当時の上級武士だった青柳家や石黒家といった重臣の屋敷が築200年近く経った今でも残っており、郷土博物館として建物の中を公開しているのですが、我々は旅路を急ぐ身分。またの機会にしました。


Ymw00357

雪道の両側には黒塀に囲まれた武家屋敷が建ち並び、立派な門構えからは古いお屋敷が覗いています。おそらく満開の頃には道を覆い尽くすだろう桜の枝や樹齢の高い立派な大木が姿を覗かせています。
黒塀の向こうには立派な土蔵も見えます。


Ymw00358

女性陣は時間なんて関係ない様子。お土産屋があればそこに入り、伝統工芸店があればいいものがないか物色しています。時間はあまりないのに。私は常に時計とのにらめっこ。ツアーコンダクターの気持ちが良くわかります。まあ、そんなハラハラドキドキも旅の醍醐味としておきましょう。
前日の旅館でお茶菓子として出された逸品がなかなか美味しく、生のもろこしが珍しかったこともあり、そのお店にも行ってみました。さらに近くには稲庭うどんで有名な佐藤養助商店もあって、時間が足りないほどでした。


Ymw00359

武家屋敷通りのクランクを曲がると、なんだか懐かしいものに出会えました。都会ではすっかり見られなくなってしまった丸い郵便ポストです。白い帽子を被った姿がどことなくユーモラスです。その姿を見て思わずパチリ。このポストを見るとエコーモデルのパーツを思い出してしまうのは私だけでしょうか。


Ymw00360

「火除け」を越えると商家や民家などが建ち並ぶ一帯になります。通りが細くて曲がっているのは当時の防衛上の理由で、敵に攻められて一気に城下に入られないような工夫だからとか。ちょっと古ぼけたスーパーマーケットもあります。
もともとが古い町なので通りを散策しているといたるところに昭和レトロが姿を現します。この看板も都市部ではすっかり見かけなくなりました。


Ymw00361

二時間ほどの散策を終えて駅に戻ってきました。
ここから先は秋田内陸縦貫鉄道に乗って奥羽本線の鷹ノ巣駅まで向かうのです。

秋田内陸縦貫鉄道は国鉄の地方交通線として廃止対象だった阿仁合線と角館線を継承し、未開通区間である比立内-松葉間を完成させて角館駅と鷹ノ巣駅を結ぶ全長94.2キロメートルのローカル線です。沿線には田沢湖への玄関口やマタギの里で有名な阿仁合などを通る山深い路線で、雪を見るにはもってこいの鉄道ではないでしょうか。
国鉄時代は長大な盲腸線の一つだったので踏破がかなわず、第三セクターとして全線開通したことで以前よりは利用しやすくなりました。しかも地方私鉄としては珍しく急行料金が必要な急行列車「もりよし」が走っているのも興味があります。

雪に埋もれた駅前ロータリーにはタクシーが止まっていて、来るあてのない客を待っていました。雪解け後の桜の季節ならまだしも、厳冬期に訪れる物好きな観光客は自分たち以外にはいないだろうと思っていたら、さもありなん。武家屋敷周辺では意外と若い旅行者たちに出会ったのです。
ただ、彼らがタクシーを使うかどうかは疑問ですが・・・。

いずれにしてもタクシーの運転手さんが、暇そうに外を眺めているのは確かでした。

2014年2月17日 (月)

角館・雪景色(1)

ご無沙汰しております。
早いもので2014年もあっという間にひと月が過ぎてしまいました。
そして2月に入った途端、寒さがより厳しくなってきました。

さて、この寒い時期になると毎年恒例の行事がやってきます。
友人家族とともに過ごす雪見旅行です。
今年も成人の日と翌日の振替休日を利用して行ってきました。

雪見旅行は日曜日の午後に出発すること、露天風呂に浸かりながら雪景色を眺められること、などが最低条件なのですが、それに加えて少しだけ鉄分を補給することも兼ねています。
したがって目的地は自然と決まってしまうことが多く、だいたいは東京駅から新幹線を使って3~4時間程度で到着する距離とし、なおかつ雪が豊富な場所を選ぶようにしてきました。

Ymw00334

去年の雪見旅行では初めて新潟県に踏み入れました。
弥彦神社に近い岩室温泉「著莪の里 ゆめや」で宿泊し、温泉に浸かりながら雪見酒を楽しもうと思っていたのですが、現地にはほとんど雪がない状態で、しかも冷たい雨が降る始末。
翌日に登った弥彦山頂でかろうじて雪を楽しみましたが、こんなアクシデント(?)を味わうのも旅の醍醐味といえましょう。
ところが帰りの新幹線で高崎を過ぎたあたりから雪混じりとなり、東京では大雪が降って交通機関に大きな影響が出てしまったという、まったくトホホな旅行になってしまったのでした。

今回の旅行はその反動もあって、どうしても雪が見たかったのです。
そうなると行き先は北へと向かうことになります。
福島県や山形県はすでに目的地として選んできたので、今回はそれ以外の場所を検討することになりました。
そのうち友達夫婦の子供がE6系「スーパーこまち」にどうしても乗りたいと言い出し、私自身も「こまち」には乗ったことがなかったので、その提案をありがたく(しょうもない大人だね、まったく・・・)受け取ることにして、今回は秋田県やその周辺を検討することになりました。

そうして出来上がったプランはいつものようにちょっとだけ鉄分が含まれたモノとなりました。
「こまち」に乗って田沢湖温泉に宿泊、角館の武家屋敷を散策し、雪深い秋田内陸縦貫鉄道で青森県側に抜け、「はやぶさ」で帰ってくるというものでした。雪見旅行初となる秋田県と青森県への進出となったのです。
東京駅の出発時間の関係で「スーパーこまち」ではなく普通の「こまち」でしたが、E6系電車を使用した同じ新幹線なので、優秀な「鉄ちゃん」に育ちつつある子供には “大人の事情”と言うことで我慢してもらうことになりました。

このように予定を立てていくのも旅の楽しみのひとつです。
あとはお天気が良ければ言うことなしですが、出発日の前日は秋田県で大雪が降って大荒れの天気。
交通情報でも「こまち」に大幅な遅れが出ているとのことでした。
そんな状況なのでちょっと不安を残す旅立ちとなりました。

関東地方は穏やかな冬晴れの一日でした。
この季節にしては珍しく暖かな気温となりました。
ダウンジャケットとスノーブーツの組み合わせは、この気候では何ともちぐはぐでしたが、これが雪見旅行における正装なのです。


Ymw00335

まずは東京駅へ向かう列車の中でいつものお約束をやりました。
一年間の無事と自分へのご褒美です。
これがないと雪見旅行は始まらないのです。
なぜだかBEERが2本ありますが、これは後ほど友人と合流するためのもの。
まずは流れる景色の中でひとり乾杯します。
気分は徐々に旅モードへと変換していきます。

途中駅で友人と合流してさらにBEERの乾杯をします。


ちょっとほろ酔い加減で東京駅のホームに降り立ちます。
長いコンコースの雑踏を抜けて新幹線の改札口にたどり着くと、その先にはまだ見ぬ場所への旅路が始まっているのです。自動改札機に切符を通すとゲートが開きました。いよいよ始まるのです。

秋田県に足を踏み入れるのはこれで2度目となります。
30年近く前、山形や秋田経由して北海道へ渡ったときのことでした。
奥羽本線を機関車に牽引された旧形客車でのんびりと歩む、まだ山形新幹線も秋田新幹線もなかった時代です。あれから30年、鉄道の環境は大きく変わりました。

エスカレーターを上っていくと少しずつ喧噪に包まれていきます。
列車の音や乗客たちのざわめきが複雑に融合して長距離ホーム特有の雰囲気が生まれてくるのです。
私自身、そうした喧噪が好きで私自身旅を続けているのかもしれません。
見知らぬ土地へ出かける高揚感、そして列車に乗って旅をする非日常感。
これは私にとって禁断の果実と同じものなのです。


Ymw00336

新幹線ホームには上りの列車が次々と到着します。
乗客たちがはき出され、車内清掃のクルーたちが乗り込み、新たな乗客が乗り込み、列車は慌ただしく次々と出発していきます。
きわめてシステマティックに進んでいく様子を眺めていると、鉄道という大きなシステムが人間の手によって動かされているのがわかります。

Ymw00337

やがて自分たちが乗車する列車の到着がアナウンスされると、目の前を「ときわグリーン」と「飛雲ホワイト」を纏ったE5系「はやて」が通り過ぎ、「飛雲ホワイト」のボディに「茜色」を被ったE6系「こまち」がゆっくりと停車しました。
「こまち」は盛岡駅まで「はやて」と一緒に連結されて東北新幹線を疾走していくのです。

どこからともなく歓声が聞こえてきます。
その声の方に目を向けると「はやて」と「こまち」が連結されている部分でした。
新幹線同士が連結されている姿が珍しいのでしょう。
写真撮影する家族連れの多さにびっくりしてしまいます。
この趣味もずいぶんとメジャーになったものです。
私もそれに負けじと緑と赤の鮮やかなコントラストを写真に収めました。


Ymw00339

鮮やかな茜色も斬新なE6系こまちの先頭写真を撮影しているうちに、大事なことを忘れていました。
あろうことかBEERを確保していなかったのです。
発車間際に気づき、慌ててキオスクで購入しました。
これで一件落着。準備がすべて整いました。
はやる心を抑えて列車に乗り込みます。

デッキから客室内に入ったとたん、黄金色のシートに目が奪われました。
これは収穫期の秋田の大地をモティーフに、腰掛けをたわわに実った稲穂、そして通路を田圃のあぜ道に見立てて表現したもので、なかなか味わいのある車両に仕立てられています。
最近の鉄道デザインというのは本当に進歩してきた感があります。
中途半端な時間帯とはいえ、車内はなかなかの乗車率です。

列車が動き始めてからお弁当を広げるのが私のポリシーなのですが、家族たちにはそんなこと関係ありません。お互いに用意してきたお弁当を次々に開けては、あーでもない、こーでもないと話に花が咲いています。
東京駅はもともと駅弁屋が充実していましたが、それでも東京駅かその近郊の駅弁しか手に入りませんでした。しかし、近年になって駅ナカ施設と呼ばれる商業施設が充実し、それにともなって各地方のご当地駅弁を手に入れることが可能となってきました。また大丸東京店のデパ地下お弁当コーナーもますます充実してちょっとした戦国時代です。


その駅弁の種類も過去に比べたら種類も内容も増えてきたことから、乗車前に駅弁を選ぶ楽しみというのも旅の醍醐味のひとつに加わったのではないでしょうか。
当日も大勢の人たちで身動きができないほどでした。
例えば限定品のお弁当や極附弁当などの高級路線も気になりますが、私はどちらかといえば定番モノの駅弁が好きなので、チキン弁当や崎陽軒のシウマイ弁当といったごく普通のものを選んでしまいます。

Ymw00340

なかでも高崎駅の鳥めし弁当は歴史があり、値段と中身のバランスが取れた駅弁として、店頭に並んでいれば、つい、手にとってしまう駅弁のひとつです。
そういえば去年の雪見旅行でも鳥めし弁当を食べたような気がしたのですが、記憶は見事に的中。ブログに掲載していましたね。

Ymw00250


そして地下二階にできた駅ナカ施設のGRANSTA(グランスタ)には「デパ地下」に負けないぐらいのお店が展開し、お弁当、お惣菜、そしてスイーツまで揃っており、食いしん坊にはたまらない空間になっています。そのグランスタで「鳥麻」の焼き鳥を求めました。


Ymw00341

友人は大丸東京店のデパ地下にあるBLACOWS(ブラッカウズ)というお店で購入したハンバーガー。
これは「ミート矢澤」が展開する黒毛和牛100%のお肉を使ったグルメバーガーで、テイクアウト用のパッケージデザインも凝っています。
種類がいくつかあるようですが、肉好きの我々にとってはこのベーコンチーズバーガーは絶品でした。

これらを膝の上に広げセッティングは終了です。
そうこうしているうちに発車ベルが鳴り、列車は静かに動き始めました。
復元なった東京駅赤煉瓦駅舎のドームが少しずつ遠ざかっていきます。
高層建築群の中をこまちはゆっくりと抜けていきます。
中央線や山手線、そして京浜東北線の通勤列車とすれ違い、時には追い抜き、ちょっとした優越感と旅立ちの感情はスピードとともに高まっていきます。

BEERのプルトップを開け、何度目かの乾杯をします。
こうして酒宴がいつものように始まるのですが、「はやて+こまち」は上野駅に停車するので、ちょっと出鼻をくじかれた感じになります。よって本格的にお酒が進むのは上野駅を出発して車内が一段落してからです。

「はやて+こまち」は上野駅を出ると大宮駅、仙台駅、盛岡駅の順に止まる速達タイプの列車です。郡山駅あたりを過ぎた頃から車窓に雪がちらほらと見え始め、仙台駅を過ぎるとあたり一面は白い雪景色となります。盛岡駅では短時間停車のなかで「はやて」と分離して、いよいよ雪深い田沢湖線へと向かいました。
秋田新幹線は田沢湖線を1年間にわたって休止して改軌・改良工事を行い、新在直通方式のミニ新幹線として1997(平成9)年に開業させた路線です。電化されていたとはいえ、もともとは田沢湖線という非電化のローカル線ですから、スピードも最高速度が130km/hに抑えられ、山あいの急カーブや急勾配が連続します。また全線単線ですから途中駅では「こまち」や普通列車との行き違いがあるのも新幹線らしからぬところです。
前日からの大雪の影響で対向列車はやや遅れており、途中駅ではイレギュラーな列車交換が何回か行われました。

雪明かりの中を「こまち」は進んでいきます。
少しずつ雪深くなってきました。
車窓は白の景色に支配されています。
通過するホームの雪がだんだん高くなっていきます。
これぞ雪見旅行の醍醐味。気分は否が応でも盛り上がってきました。


Ymw00342

こうして数分遅れで「こまち」は田沢湖駅に到着しました。
今日の終着駅です。
それにしても寒い。
身震いをして凍り付いたホームに降り立ちました。
「こまち」は雪化粧をまとって去っていきました。


Ymw00343

「こまち」を見送ったホームには我々だけが取り残されていました。子供が雪と戯れているのを微笑ましく眺めていると、改札口の脇にはなにやら面白いモノがあるのに気づきました。近づいてみると大きな龍の頭です。立てかけられたうちわには龍神まつりと書かれています。これは田沢湖に昔から伝わる辰子姫伝説にあやかって、地元で毎年夏に行われる龍神まつりで使われる御輿が展示されているのです。

改札口を抜けると宿の方が迎えに来てくださりました。
駅舎を出ると降り積もった雪に足が沈みます。
いいねぇ〜、これぞまさしく気雪見旅行です。
駅から田沢湖畔にある田沢湖温泉までは車で15分程度でしょうか。日が暮れているのでよく見えなかったこともありますが、道路は除雪されているため、そんなに雪深い印象はありませんでした。旅館の人に聞いても今年は雪が少ないとのこと。「暖かいからね~」なんて話しているうちに宿に到着しました。

今回のお宿は「花心亭しらはま」。
田沢湖畔にあるこじんまりとした温泉旅館です。
玄関先の氷柱が立派ではありませんか。

中居さんに部屋まで案内してもらいました。
まずはサッと温泉に浸かり、一段落してから夕食となります。


Ymw00344

前菜から始まりお造りや地元の和牛ステーキなど、かなりのボリュームがありました。
地酒と共に食が進みます。
温泉で体が温まっているとはいえ、やはり冬の夜です。
秋田名物のきりたんぽ鍋がいちばん美味しかったような気がしました。

その後は再び温泉に浸かり、雪見酒を楽しみます。
そして部屋に戻って友人夫婦と語らう宴が深夜まで続いたのでした。

2013年12月26日 (木)

製作記 国鉄201系 その6 熟成へ

Ymw00328


5回にわたって連載してきた201系製作記ですが、現段階ではこの状態で一休み(熟成)する事になりました。
今後の構想は色々あります。
残った工作も色々あります。

車体関係では妻板部分の縦樋やステップ、パンタグラフ周辺の配管、そして先頭部の加工といった細かい作業が残っています。
下周りについてはほとんど手付かずの状態です。
完成に向けてたくさんの作業が必要となってくるでしょう。

Ymw00329


妻板のディテール工作は車両の顔となる部分だけに手を抜くことはできません。
以前のブログに記したように、現在工作がストップしている縦樋については実物と同様に取付座を介して少し浮かせるように思案中です。

妻板のステップにはφ0.3mmの洋白線を所定寸法に折り曲げたのちに半田付けします。
真鍮線よりも洋白線のほうがかっちりと曲げられるので、小さなステップには最適です。

貫通路については幌枠座と上部の水切りはどうしても再現したいので、手間はかかりますが真鍮板と帯材の組み合わせを考えています。
そうなってくると貫通路の手すりも欲しくなってきます。


Ymw00330


パンタグラフ周辺の配管は、おそらく試行錯誤の連続となるでしょう。
201系電車はヒューズボックスが屋根上にないので比較的あっさりとしています。
配管は帯材を用いた取付座を介して、精密パイプと線材を組み合わせる予定です。
配管の先端から電線が出てパンタグラフに接続する部分の表現を行いたいからです。
そして緩やかなS字カーブを描く空気作用管は、パンタグラフ周辺の印象を左右するとても大事な部分なので、スマートに再現したいところです。
パンタグラフ鍵外し装置は細かな部品から構成されていて意外と目立つ存在です。

これらの部分をすっきりと工作することがパンタグラフ周辺の印象を左右するだけに、メリハリがあり、かつすっきりと仕上がるように努力したいと思っています。


Ymw00331


先頭部についてはスマートな顔を目指していきたいと思います。
運転台窓上下の特徴的な手すりはエッチング製のパーツが含まれていますが、これはもう少し体裁のよいモノをと考えています。
ブラックフェイスは上方に傾斜しているので、ヘッドライトを水平に取り付けられるように工夫しないといけません。
キットでは電球による点灯可能な構造となっています。時代の流れ(?)から、ここではLED化を考えています。
DCC対応にするかどうかは、今後のYMWの状況を考えて決定したいと思います。


Ymw00332


床下は基本的にはエンドウで別売りされた専用のセットを使用しました。
そのものズバリというわけではありませんが、あくまでも雰囲気重視です。
201系は旧形国電ほどではないものの、台車間にはパイピングが目立ちます。
別売りの床下器具をただ並べただけでは寂しいので、このパイピングを適度に加えることによって精密感を出したいと思います。
パイピングに関しては連結面にもエアー関係の配管や締め切りコックが並ぶので、このあたりもすっきりと仕上げないといけません。

連結器については157系電車で採用した伸縮機能を有するトミーのTNカプラーを採用する予定です。DCCを採用するのであれば従来の集電方式では不都合が出そうなので、イモンの通電カプラーも気になります。
この工作記を書き始めるきっかけとなった友人の201系も、通電カプラーを採用することによって走行性能や室内灯のちらつきが劇的に改善されたと言っています。DCCでいくかDCでいくか、ここらへんはかなり流動的な状態になりそうです。
いずれにしても、カプラーと連結面のエアー配管はユニット式を採用して工作の便を図っていきます。


Ymw00333


以上のように工作してきた201系電車ですが、完成までの道のりはまだまだ遠そうです。
しかし、いずれ工作を再開したときに、ここまで記しておけば何かの役には立つでしょう。
また、今後の予定をあえて公開しておけば自分への戒めにもなるわけです。

最後になりましたが最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
進捗があり次第、製作記を再開したいと考えています。

2013年12月12日 (木)

製作記 国鉄201系 その5

車体が箱状になってくるとやはり車両らしくなってきます。
電車のハイライトと言えば先頭部はもちろんですが、パンタグラフ周辺も目立つことから手を抜くことができません。気動車や客車と違って屋根上には電気配管や空気配管などが付いて賑やかなので、このあたりの工作はクラフツ・マンとしての腕の見せ所でもあるわけです。
過去のみなさんの作例を拝見すると惚れ惚れするような工作例に出会うことがあり、YMWもそれを見習いつつ、できる限りの範囲ですっきりと、なおかつメリハリのある表現を心がけるようにしたいと思います。


Ymw00311


キットではこれらの配管を支えるパーツとしてエッチング抜きのパーツが添付されており、屋根上にはそれを取り付ける孔があらかじめプレスで抜かれています。その位置をキットの設計図と実物の写真とで比較してみると、やや寸法の違いがあったことと、配管自体の取り付け方法を変更したかったので、ほぼ全面的に修正することにしました。ただし避雷器の位置は合っていたので、それ以外の取付孔を埋めることになりました。
パンタグラフを支えるパンタ台については、キットでは貴重なロスト部品が添付されていましたが、足2本で車体に取り付けることからオーバースケールに感じられました。あまりごちゃごちゃさせたくなかったのでロスト製パンタ台の採用は思い切って却下し、以前から愛用しているエコーモデルのホワイトメタル製パーツに交換することにしました。


Ymw00321


真鍮線材や不要になったパーツなどの足を使用して穴埋めを行い、たっぷりとハンダを流していきます。飛び出た足をニッパーで切断し、表面を平滑に整えていきます。
こうして埋めてみるとパンタグラフ周辺がプレス加工でかなり歪んでいたのがわかります。
室内側に飛び出た足も今後予定している室内灯などの取り付けに干渉しないように、不要分は切断して軽く仕上げておきます。

新たに設ける配管支えは実物と同様の構造を模すことにしました。
配管支えは真鍮帯材の小片を所定の位置にハンダ付けし、その上に配管を通して割りピン等で固定する方法を採用する予定です。
一直線に伸びるパンタ母線、緩やかなS字を描く空気作用管、そしてパンタ鍵外し装置など、細かい割には目立つ部分で「電車モノ」の見せ場ともなる場所ですから、オーバースケールに注意しながら再現したいと考えています。


Ymw00323


パンタグラフは電車モノや電気機関車モノではいちばん目立つ部分なので、それなりの製品を使用する必要があると思います。エンドウからも自社製造のパンタグラフを発売していますが、YMWでは従来から定評のあるフクシマ模型の製品を愛用しているので、ここはフクシマ模型製のPS21を使用しました。
フクシマ模型は数年前に廃業してしまったことから、一時期パンタグラフの買い占めが発生(フクシマ・ショック!?)して品薄の状態が続きましたが、その後業務の一部をイモンが引き継いだことから再び安定供給されるようになり、我々モデラーには高品質なパンタグラフを常時手に入れることが可能となりました。ひと安心です。
フクシマ製のパンタグラフは取り付けにφ1.0mmネジを使用しているので、それに合わせて下穴を開けタッピングしていきます。気分を味わうためにエコーモデルのホワイトメタル製パンタ台を介してフクシマ模型製のPS21パンタグラフを取り付けてみました。
電車を作っている実感が湧いてきます。
こんな些細なことでも、モデラーにとっては嬉しいんですよね。


Ymw00322


このように下地を充分に仕上げてから雨樋の取り付けとなります。
YMWでは鋼製雨樋の表現は従来から真鍮線の別貼り・整形で行っています。
その理由として、角線や帯材をまっすぐハンダ付けするのが難しいこと、角線を用いることにより雨樋の上面がのっぺりとして溝の表現が難しいこと、そして真鍮線をハンダ付けして整形する工作に慣れていること、などがあげられます。
特に雨樋上面の溝の表現に関しては角線よりも丸線を用いた方が優れているような気がして、より自然な雨樋の形を得られるように思います。よってYMWでは従来から0.6x0.3mmの帯材を直貼りするのではなく、わざわざφ0.7mmの真鍮線をハンダ付けして整形する方法を採用しているのです。


Ymw00324


雨樋やシル・ヘッダーなどの長い線材や帯材を取り付けるにはコツが必要で、少しでも曲がってしまうと見苦しくなってしまいます。今でこそ雨樋やシル・ヘッダーなどを取り付ける治具はエコーモデルから発売されていますが、わがYMWでは自作の治具を使用しています。
治具を用いて数カ所ハンダでチョン付けしていきます。
直線を確認してから全体にハンダを回す作業を行っています。
治具を用いることによって正確に取り付けることが可能になったのと、何よりも効率がよくなったことが最大の利点ではないでしょうか。

その後真鍮線の表面を大きな単目のヤスリでガリガリ削っていきます。
半分以上削ったところでノギスを当てて寸法を確認しながら中目→細目のヤスリを用いて厚さ0.3mmで仕上げていきます。こうすることによってほぼt0.3x0.6mm程度の帯材と同じような寸法に仕上がります。断面は半丸線状ですから雨樋上面をキサゲで彫り込んで溝を表現していくと立体的な雨樋に仕上がっていきます。


Ymw00325


側面雨樋は妻面に回り込む分をあらかじめ見越して取り付けています。表面の加工が終わったら寸法を合わせて妻板に回り込ませます。これらの一連の作業が終わってから妻板の縦樋の取り付けとなります。縦樋にはt0.4x1.0mmの真鍮帯材を用いて、車体と妻板の接合部が隠れるようにベタ付けしました。
ここまでは順調に作業が進みました。
しかし、なんとなく物足りないような気がします。
YMWの悪い「凝り虫(!?)」が、またまた動き始めてしまったのです。
旧形客車の場合では丸管タイプの縦樋を取り付けるにあたり、Nゲージ用の割ピンを介して浮かせたところ、とても実感的に仕上げることができました。しかし平管タイプの縦樋を浮かせるような工作はまだ実績がありません。実感的な妻板を表現するためにはどうしても縦樋を浮かせる必要がありそうです。こうした工作はプラスティック製量産品との差別化という意味で、ぜひ行いたい工作のひとつだと思います。


Ymw00326


クハ先頭部の雨樋は漏斗状になっています。実物はここから車体内側の縦樋を通っていくのですが、この漏斗を表現するのに少し考え込んでしまいました。帯材で表現するのが本来であれば簡単なのですが、あいにくと適当な帯材の持ち合わせがなく、今回はφ1.0mmの真鍮線を端部の形になるように適当に整形したのち雨樋先端にハンダ付けし、雨樋表面の整形とともにきれいに形を整えてみました。意外と案ずるより産むが易しとはこのことを言うのでしょうか。それなりに雰囲気が出たと思っています。

乗務員扉は新製する予定でしたが、結局キットのパーツをそのまま使用することにしました。そのままでは表情に乏しいのでドア断面を斜めに削ろうかと考えています。また乗務員ドア脇の手すりについてもきれいな表現を目指すために現在仕様を検討中です。


Ymw00327

«製作記 国鉄201系 その4